流れ流れて流山。再びの屋台ラーメン「とんこつ貴生」は私を鼓舞した

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歳を取ると臆病になる。最近特にそんなことを実感するものです。昔はなんでもなかったのに、あの発想が湧き出さない。その一手に出られない。そんなことがとても多くなった気がします。もうすぐ私も40。そういうことなのでしょうか。いつもガキだなあと思っていたのに、まだ全然半人前なのに。そしてまだ始まってもいないのに。そんな風に思ってきたが、時は待ってはくれないのですね。残酷ですし、寂しいものです。

食べ物に関してもしかり、であります。かつて立石の奥戸街道のところにあった貴生に行ったことがありました。そのしっかりと煮込まれたスープと盛大に背脂を降り掛けてある強烈なアピアランスに、恐る恐る足を踏み入れたのはいつのことだったでしょうか。仲間に誘われて自動車に乗って出かけたものでした。しかし年月は経ち、先ごろそのお店が閉まるというニュースを耳にした小生。さみしい反面、とはいえ、今、あの店に行っても食べられるだろうか。

なんだかふさぎ込んで、弱りはて、自信を無くした自分は、正直久しくご無沙汰してしまっていたあのことに対するある種の罪の意識から、怖気づいていたようでありました。どうせまた行ってもギブアップだろう。食べきらんだろう。そんな思いから、閉店のニュースを聞いて寂しいと思う反面。どうすることもできない心身ともに老途をたどる自分など別れを惜しむ資格もない。どうすることもできない。そんな風に思っていたというのが実のところでありました。それがまたさらなる寂しさへと誘う。夜な夜なラーメンを食べに行く仲間もいない。まあ、時には好きな人若干思い当たるが、僕とは住む世界が違うからあまり生活サイクルを合わせにくい。同じようなことをしている仲間はどうしているだろうか。そんな枝葉の寂しい想いまでこみ上げてきます。

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この記事の筆者:中込 健太郎

大手自動車買取販売会社で、クルマの売買業務を経て、本社マーケティングチームに異動。WEB広告を担当し...