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テクノロジー

更新2017.05.27

共存共栄のモータリゼーション2.0、自動運転は100年に一度の変革

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海老原 昭

ガソリン自動車が発明されて約100年。いま「モータリゼーション2.0」と呼ばれ、自動車業界にかつてない大激震が起きようとしている。それが、昨今自動車業界のみならず、IT業界なども巻き込んで話題となっている「自動運転」だ。自動運転というアイデアそのものは目新しいものではないが、技術革新と異業種の参入により、自動車業界の再編成までが叫ばれている。なぜ自動運転が自動車業界の再編にまで繋がってしまうのだろうか?

自動運転は自動車業界長年の夢


前述したとおり、自動運転そのものは、決して目新しいアイデアではない。むしろ古典的なSFにも必ず登場する、使い古されたネタといってもいいだろう。ボタン一つ、あるいは音声による命令ひとつで、ハンドルを握らずとも好きなところにクルマが連れて行ってくれるというのは、昔から自動車開発者が描く夢のひとつだった。

今でも部分的な形で、クルマが運転の一部を受けもったり、補助する技術は確立している。たとえばABSやDSCといった安全機能やクルーズコントロール、自動ブレーキ、パーキングアシストといった機能は、すでに市場でおなじみのものだ。自動車の現在位置を調べるGPSや、周囲の障害物などを感知する音波/レーザーセンサー、前後左右のクルマと協調して車間距離を保ったり、車速などの情報をやり取りする無線通信、これらの情報を総合的に処理して判断するための演算装置など、パーツレベルでの要素も実用レベルに到達している。

現状では、パーキングアシストですら、法律の規制もあって、ドライバーがステアリングを握り、いつでもペダル操作ができる前提でしか利用できないが、技術的にはドライバーがいなくても自走できるところまですでにこぎつけている。アウディや日産、トヨタといったメーカーは公道での自動運転試験をすでに成功させているのだ。


▲アウディは2015年1月、シリコンバレーからラスベガスまでの約900kmを自動運転車で走破している


▲トヨタは2012年に皇居周辺で初の公道上完全自動運転車のデモ走行に成功しているほか、海外でも自走実験を繰り返している

法律の面からも、世界的に自動運転のために、規制を緩和する方向で改正準備が進められている。早ければ2017〜2018年には、最初の公道自動運転車が市場に登場するだろう。当面は高速道路や駐車場など、限定した空間での利用に限られるにせよ、やがて一般道にまで自動運転車が進出してくるのは、そう遠い将来の話ではない。日本では2020年の東京五輪で自動運転によるタクシーなどのサービスを実用化したいという動きもあるのだ。

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自動運転がもたらす未来図とは


もし技術が進歩し、法規制が解消され、完全自動運転に進化すればどうなるだろうか。自動車同士は安全な距離を保ち、法定速度を守って整然と街を走る。交通事故は極端にその数を減らすだろう。搭乗者は行き先を指定すれば、あとは寝るなり仕事をするなり、好きなことに時間を使える。ドライバーが不要になるのだから、車内のレイアウトも大きく変わる。そもそも、クルマが今のボディスタイルを保つ理由はほとんどなくなるので、形状も今とは見違えるだろう。

さらに自動化が進むことで、人間は「駐車場」という存在すら考慮する必要がなくなるかもしれない。クルマは必要なときにスマートフォンなどで呼び出し、使い終わったら「戻れ」と命令を下すだけでいい。タクシーのようなものだ。自動運転車は人間が乗り降りするスペースすら必要ないため、1cm刻みで今よりもはるかにスペース効率が高い駐車を実現する。

さらに効率を優先すれば、自動車を所有することそのものがナンセンスとなり、すべてのクルマはカーシェアリング前提になる。呼び出したところの最寄りのクルマが来て、目的地で乗り捨て前提となる。クルマのメーカーや車種、スタイルがステイタスとなる時代は終わりを告げ、単なる移動インフラとなるだろう。決して事故を起こさない自動運転車が大多数を占めるようになれば、不確かな人間の運転する自動車がむしろ公道の走行を制限される、そんな時代の到来も、そう遠いことではあるまい。

何を馬鹿なことを、とおっしゃるかもしれないが、こうした予想はむしろ自動車業界側が共通で抱えている未来予想そのものであり、それが「モータリゼーション2.0」なのだ。

現在の自動車メーカーの大半が消える?


自動運転に必要な技術のうち、もっとも重要なのは、周囲の環境情報を認識し、判断するためのソフトウェアだ。周囲に感知された障害物が歩行者なのか、自転車なのか、ポストなのか。歩行者や自転車だったらそれはどのような挙動をすると予想され、事故を起こさないよう、それに対応するにはどのように動けばいいのか……。こうした判断を瞬時に、しかも柔軟に行うソフトウェアは、一種の人工知能のようなものだ。

そして、人工知能のように高度なソフトウェアの開発をもっとも得意としているのが、Googleやアップルを始めとするIT企業だ。たとえばGoogleは自動運転車に多大な興味を示しており、独自開発した完全自動運転車が今夏にも公道実走実験を開始する。そのスタイルもインテリアも、既存の自動車業界からは決して登場しないようなものだが、自動運転車という乗り物の開発状況としては、既存の自動車業界と肩を並べるまでに至っているのだ。


▲Googleは運転者が操作するペダルすら存在しない自動運転車を開発している。その発想は既存の自動車業界からはまず出てこないであろうものだ(Google Waymoサイトより)

逆に自動車業界では、自動運転車に対する研究は懸命に行われているものの、まったくこの分野に注力できていないメーカーも多い。自動車開発の歴史は、常に効率のいい内燃機関の開発や乗り心地の改善、コーナリング性能の向上といったハードウェアに集約されており、オンボードモニターなどに代表されるソフトウェアの開発は、せいぜいここ10年程度の歴史しか持たず、開発予算や人員もIT企業の数十分の一に満たない。まして、そういったソフトウェアにすら投資してこなかったメーカーはいずれ、完全自動運転車の登場とともに消えていくかもしれない。数十年後には今我々が知る自動車メーカーは数社しか残っておらず、ほとんどのクルマにはGoogleやアップルのロゴが付いている、ということも多いにあり得るのだ。

ポッと出のIT企業が、これまで数十年以上の歴史を積み重ねてきた自動車メーカー、それも伝統と格式を持った高級ブランドと肩を並べられるはずがない、と思う人もいるかもしれない。しかし、電気自動車の米テスラモーターズを思い起こしてほしい。わずか12年の歴史しか持たず、自動車業界とは縁のないシリコンバレーの技術者たちが立ち上げた企業が、今や世界中の注目を集める電気自動車のトップメーカーになっているのだ。


▲今でこそ高級車メーカーの仲間入りをしたテスラだが、起業したのは今世紀に入ってから。彼らは自動車をソフトウェアとして扱っている(テスラ公式サイトより)

たとえば音楽は、かつて演奏者の元で聴くしかないものだった。それがロウ管やレコードの発明、ラジオやテレビの普及、カセットテープやウォークマンの登場、CDやMD……と、技術革新によって身近に、身近に近付いてきた。iPodとダウンロード販売の登場で物理的な制約がほとんどなくなり、かつて音楽プレーヤーで一世を風靡した音楽・家電業界は、完全に畑違いだったIT業界のアップルに、わずか数年で屈することになった。携帯電話も然り、だ。

まるで外来種の到来で孤島の動物が絶滅してしまうように、ある種の正統進化を遂げてきた技術が、まったく違う方向からの技術革新により、存続そのものの危機に陥ることは、決して珍しいことではない。パラダイムシフトが起きた時、既存の価値観や伝統、ブランド力などは一切力を持たないことは、歴史が証明しているのだ。

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IT企業が考える自動車の進化とは


IT企業が考える「モータリゼーション2.0」、完全自動運転車のもたらす未来を想像してみよう。まず、移動時に人の力を借りなくなったクルマは、移動中の娯楽や情報提供のためのディスプレイなどを充実させていき、その性質を情報端末へと変えていくだろう。これは冗談でもなんでもなく、IT企業にとって、自動車とは位置情報という価値をもたらすデバイスでしかないのだ。彼らにとっては、人がスマートフォンを持って歩くか、人が自動運転車に乗って移動するかの違いでしかない。

たとえばGoogleが経営する自動運転タクシーを呼び、デパートを行き先にセットしたとしよう。クルマは搭乗者の性別や年齢、搭乗した時間帯、出発した場所と行き先といった情報を収集し、サーバーに蓄積する。こうして蓄積されたデータから、搭乗者にふさわしいと思われる広告を表示するとともに、道中の地域広告やニュース、割引クーポンなども必要に応じて表示する。こうした広告の表示のおかげで、運賃が半額、あるいは無料になるとしたらどうだろうか?誰もがこぞってGoogleのタクシーを呼び出すだろう。

クルマとはドライビングプレジャーを提供するものから、移動サービスとともに広告などの情報、映画や音楽などのエンターテインメントなどを複合的に提供し、ユーザーに新たな経験と価値観を提供するための手段でありデバイスへと変貌していく。これが、IT企業による完全自動運転車が目指す新たな自動車の進化系だ。

自動運転とドライバーが共存する未来を願う


モータリゼーション2.0に関してこれまでに挙げたシナリオは、自動車メーカーはもちろん、評論家やアナリストなども早かれ遅かれ、確実に来るものとして真剣に検討されている。自動運転車の導入は時間の問題であり、かつてのハイブリッド車や電気自動車のように、あと数年もすれば徐々に町の中に現れてくるだろう。最初はクルーズコントロールのように高級車のオプション装備として、やがては多くのクルマの標準装備として、あるいは人間の運転そのものがオプション扱いにされるかもしれない。

ただ、筆者としては、こうした予想に疑問を感じる部分もある。確かに、運転を機械に任せた方が、ドライバーのミスや傲慢から生まれる不幸な事故は圧倒的に減るだろう。ドライバーの負担が大きいタクシーや長距離バス、運送業などは、自動運転との相性もよく、こうした分野では早期に普及することになるはずだ。

一方で、自動運転には人間特有の思いつきや、臨機応変さが欠けている。渋滞情報に合わせて迂回ルートを探すことはできても、「そういえばこの間、同僚が言ってた店はこっちかな……」「そろそろ桜が見頃じゃないだろうか」と、曖昧な情報から不意にルートを変えたくなるような対応は難しい。実はGoogleなどは、ネット上の情報などを通じて近在の店を紹介するなどして、こうした「勘」や「経験」に依存する部分についても機械と人間の境界をなくそうとしているが、あくまでネット上にある情報の集積にとどまるため、たとえば広告も出していないような小さな店は見つけることができない。

また、「機械の運転は本当に大丈夫か?」という根本的な疑問も残るだろう。時間が解決する問題かもしれないが、最終的な安全弁として人間が責任を持つということへの信頼感を、そう簡単に払拭することは難しい。20年、30年先になればそういった懸念もなくなり、完全自動運転のクルマが主流になるかもしれないが、結局は都市部での普及に限られ、地方と都市部で住み分けができるのではないかという気もする。

先日、北海道で無謀な運転による悲劇的な事故が起きたばかりだが、自動車メーカーによる自動運転技術は、こういった無謀運転や交通規則違反を抑え、安全に寄与する方向にこそ発展してほしい。ドライブする楽しみは残しつつ、人間がハンドルを握る以上、避けて通れない部分をクルマがフォローする、新しい意味での人馬一体となる時代の提案は、長年の経験を持つメーカーにしかできないはずだ。

[ライター/海老原昭]

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