車好きが集う隠れ家カフェ「カノカレかふぇ」のオーナーが、ダットサンフェアレディを購入した話

最終更新日: 公開日:2018-10-03 | Posted in オーナーインタビュー by

以前、CLでも紹介した、麻宮騎亜原作のカーライフ漫画「彼女のカレラ」をモチーフにした喫茶店「カノカレかふぇ」を覚えておられるでしょうか?名古屋市近郊のクルマ好きの間では隠れ家的カフェとなっている同店ですが、オーナーの後藤さんが最近、ダットサンフェアレディを購入したと聞いたので、お話を伺ってきました。

▲カノカレかふぇに行くたびに軒先でDIYレストアをしている「野良レストアラー」の筆者はこのガレージを指をくわえて見ていることしかできません

フェアレディSRとは

何度も生産中止の危機を繰り返しながらも、現在まで日産のフラッグシップモデルのスポーツカーとして君臨するフェアレディZの前身となったモデルです。

戦後、自動車生産を再開した日本の自動車メーカーの中でも、日産は1952年に早くもダットサンスポーツDC-3を発表。しかし、トラックのシャシーに乗用車のボディを架装するのがやっとの日本の自動車メーカーにおいて、多分に漏れずDC-3もトラックのシャシーと旧態化したサイドバルブエンジンにスポーツカーのボディを架装したとあって、手本となったMGの戦前型モデルにも及ばない性能で、生産台数も50台に終わりましたが。戦後の混乱期が収束に向かいつつあるなか発表された2シーターのロードスター型のDC-3は「国産車初のスポーツカー」とも言われています。

▲ダットサンスポーツDC-3

その後、北米に販路を求めた日産は、当時スポーツカーの需要が高まりつつあった北米向けの商品として、1959年に211型ダットサン1000のシャシーにFRP製のスポーツカーのボディを架装したダットサンスポーツ1000を北米のみ20台テスト販売。そして1960年に1200ccエンジンを搭載したダットサンフェアレデー1200を発表。「フェアレデー」の由来は川又克二社長が渡米した際に感激したブロードウェイミュージカル「マイ・フェア・レディ」に由来しているのはよく知られた話です。

フェアレデー1200はSPL212、マイナーチェンジ後はSPL213とL(Left)型式にLの文字が入る事でもわかる通り、左ハンドルの北米専用車種でした。

セダンモデルがP310型ダットサンブルーバード(通称柿の種テール)に移行したことで、1962年にスポーツモデルもSP310/SPL310に移行。国内でも販売され表記も「ダットサン・フェアレディSP1500」となり、エンジンも国内外両モデルに輸出用の1500ccエンジンが奢られます。一説には、このダットサンSP310にレース用の試作エンジンを搭載したテストカーが公式に記録に残る日本ではじめて200km/h突破したクルマであり、後のニスモ初代社長「難波靖治」が日本人ではじめて200km/hを記録したドライバーとも言われています。

1965年に1600ccエンジンのSP311/SPL311型「ダットサン・フェアレディSP1600」となり、1967年には追加モデルという形で今回取り上げる、310系フェアレディ最強モデルSR311/SRL311型「ダットサン・フェアレディSR2000」となります。エンジンはU20型直列4気筒SOHC1982cc、国内仕様はソレックス、輸出仕様はメンテナンス性を考慮したSUキャブレター、最高出力は145PS/6000rpm。最高速度は国産車初の200km/hを突破した205km/hを記録します。とはいえ、1960年代末期ですでに旧態化した310型ダットサンのラダーフレームシャシーに2Lエンジンを載せ、最高速度200km/hを超えるスポーツカーを売り出した当時の日産も随分無茶な事をしたものだと思うのですが…

あわせて読みたい記事

この記事の筆者:鈴木 修一郎

愛知県名古屋市在住。幼少期より自動車が好きで、物心着く前から関心の対象はニューモデルよりもクラシ...