日本は世界に誇れるスーパーカーをつくれないのだろうか…。ボクが考える理由はこうだ

公開日:Posted in ライフスタイル by

なぜならポルシェ911は、「日常性」を重視したクルマだからだ。そういった理由では、もちろんスーパーカー並の性能を持つサルーンを「スーパーカー」とは呼べないと考えている。

スーパーカーに必要なのは非日常性だ

そして、日本はそういった「非日常性」を創り出すことに慣れていない。それは日本の根底にあるのが合理主義だからだとも考えている。

スーパーカーは「非日常」の存在であり、ある意味では「無駄」な存在だ。
しかし残念なことに、日本人は「無駄」を創り出すことに不慣れだ。

おそらく日本は世界に誇れるスーパーカーをつくれない。ボクがそう考える理由はこうだ

一方で、日本の自動車メーカーは高い技術を持っている。
それは疑いようのない事実だ。

だから、スーパーカー並みの性能を持つクルマをつくることはできる可能性を持っているし、もしかしたら「それ以上の性能」だって実現できるかもしれない。

だが、日本の自動車メーカーの場合、おそらくは「合理性」を追求するはずだ。
そして合理性を説明できないものは会社という組織の中では許されない。

つまり開発のゴーサインを得るためには「ココがこう他社より優れる」「こういった人々がターゲットだ」と上司に説明せねばならず、その段階でピュアさは失われてゆくだろう。

スーパーカーはそもそも合理的な存在ではなく、もちろん「無駄」を合理性で説明することはできない。

合理的ではないものを日本の企業は受け入れることができず、そもそも理解すらできないだろう、とボクは考えている。

そして理解できないものはつくりようがないのだ。

おそらく日本は世界に誇れるスーパーカーをつくれない。ボクがそう考える理由はこうだ

あわせて読みたい記事

この記事の筆者:JUN MASUDA

新しいモノ、テクノロジー好き。「クルマ好き」に分類されるはずだが、一般にはそれを隠して生きている...