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更新2017.05.11

あなたは強烈なノスタルジーを感じるだろうか。消えてゆくドライブインレストラン

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鈴木 修一郎

アメリカやヨーロッパには後れを取るも、日本でも自動車の国産化に果敢に挑む挑戦者があわれてから100年以上、日本の一般労働者が一家に一台念願の自家用車を手にすることも可能になり、第一回日本GPが開催されてから早50年以上、今や日本車も「ヘリテイジ」と呼べる歴史的、文化的バックグラウンドを持つまでになりました。当然その中には日本独自の自動車文化も少なからず存在します。その、日本のモータリーゼーションの歴史の産物の一つに「ドライブインレストラン」というのがあるのではないでしょうか。

ドライブインレストラン

ドライブインレストランの文化が、郊外や地方の幹線道路沿いに存在した


アメリカのカーアクション映画やロードムービーを見ていると、片田舎のハイウェイ沿いで遠くの客先に向かうビジネスマンの薄汚れた4ドアセダンのプリマスやピータービルトのエイティーン・ホイーラーの大型トレーラーが止まって、サンドイッチを頬張り、コーヒーでのどを潤しながら、備え付けのピンボールや、ビリヤードに興じてひと時の休息をとる「ドライブインレストラン」や西海岸のクロームの装飾に、赤い表皮の椅子に、派手なネオンサインの電飾で、週末の夜になれば50’sオールディーズポップスをBGMに、若者たちがダッジチャージャーやデュースクーペのホットロッド、キャルルック仕様のVW等、思い思いのカスタマイズした自慢の愛車で集まり、ポリスの目を盗んでシグナルGPを始めたりというシーンが出てきます。

筆者の大好きな映画でスティーブン・スピルバーグ監督の出世作「激突」にもデニス・ウィーバー演じる主人公デイヴィッド・マンの赤いプリマス・バリアントが、得体のしれない古いピータービルトのタンクローリーに執拗に追われる中、ドライブインレストランに立ち寄り、自分が路上で見ず知らずのトラックに追われる羽目になってしまった心理的葛藤を印象的に描いているシーンがあります。ちなみに、このときロケで使用されたレストランは現在でも実際に営業しているようで、余談ですがプリマスを追いかけていたピータービルトのタンクローリーの劇用車も予備車を入れて2台用意した内、スタントシーンで使用しなかった方の車両も現存し、今もイベントで展示される事があると聞きます。筆者も、もしアメリカに行く機会があれば、三ツ星の有名レストランより、むしろハイウェイ沿いのドライブインレストランやダイナーでサンドイッチやハンバーガーを頬張ってみたいものです。



この通り、モータリーゼーションとロードサイドの飲食店や小売り店舗というのは密接な関係にあるといってもよいでしょう。特に日本の戦後のモータリーゼーションはアメリカの影響も大きく、ロードサイドのファミリーレストランや大型スーパーなどはアメリカを意識した部分があると思います。実は日本のではお馴染みのファミリーレストランの「デニーズ」が元はアメリカ資本の企業で、その後日本で本家とは全く別物の店舗として現地化したということをご存知の方も今や少ないことでしょう。

少々、話が脱線してしまいましたが、戦後日本のモータリーゼーションにおいてアメリカのロードサイドのドライブインレストランに相当する、日本独自のロードサイドのドライブインレストランの文化が、かつて郊外や地方の幹線道路沿いに存在した日本独自のドライブインレストランではないでしょうか?

1960年代~1970年代の日本映画やTVドラマを見ていると、自動車で移動するシーンによく途中で幹線道路沿いのドライブインレストランに立ち寄って小休止するという描写があったりします。今や、伝説の映画シリーズとなり、日本のトラックドライバーには聖典のような作品である、菅原文太演じる「一番星」こと「星桃次郎」と愛川欽也演じる「やもめのジョナサン」こと「松下金造」のトラックドライバーのドタバタ騒動と人情劇を描いた「トラック野郎」もまず、行きつけのドライブインで他のドライバーととっくみあいの喧嘩をしたり、いわゆる「マドンナ」と呼ばれる、ヒロインで店の給仕のアルバイトをしている女性に、桃次郎が一目ぼれするというパターンから始まります。ちなみにこのシリーズのロケで使われていたドライブインは現在も営業していると聞きます。

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カップ麺やハンバーガー、サンドイッチを販売する自販機が懐かしい


サンスイ

筆者の幼少期、毎年夏に恒例で親戚と奥飛騨栃尾温泉に行くのが年中行事となっていました。まだ当時は東海北陸道がなく、名古屋から奥飛騨に行くには国道41号線を4時間ほどかけて走っていったのですが、高速道路とトンネルが大好きだった筆者でも(どうやら幼少期にて「スポーツ」よりも「グランドツーリング」を好む素養があったようです。)41号線のワインディングロードを父のクルマで走るというのはまた違った楽しさがありました。当時は地方に行くとまだ民家の軒先や整備工場でダットサンブルーバードやトヨペットコロナ、スバル360の生き残りに遭遇することがあるのも楽しみの一つでした。

そして途中、下呂を超えたあたりでドライブインレストランで休憩に入るのが恒例でいつもうどんを食べていた記憶があります。かつては日本でも自動車によるレジャーとドライブインは密接な関係があったのでしょう。当時はまだ24時間営業の店も少なく深夜便の長距離トラックドライバーには広大な駐車場を持つ敷地に入浴施設まで備えた大型のドライブインレストランはさぞかし重宝した事かと思います。

自販機

しかし、聞くところによるとこういった形態のドライブインレストランは絶滅の危機にあるようで、幹線道路沿いのドライブインレストランが次々廃業するという話を耳にします。かつて岐阜県の国道19号線には「サンスイ」という自販機のドライブインレストランが存在していました。カップ麺やハンバーガー、サンドイッチを販売する自販機は、かつてはゲームセンターやボーリング場でも見られた設備です。ある程度の年齢の方なら、強烈なノスタルジーを感じる方も多いのではないかと思います。



筆者がサンスイに最後にたちよったのは10年近く前、しかしその時点ではもう既に自販機の不具合も目立ち、稼働はしていても結局最後は常駐のスタッフが機械を開けてとりださないといけないという有様でした。もう21世紀に入ると既にこういった自動販売機はメーカーの修理サポートも無く、壊れたら最後そのまま使用中止、うどんの自販機に至っては現在日本で稼働しているのは全国に数台しか現存していないという話です。ちなみにオートレストランサンスイは数年前に廃業してしまったとのことです。

別れを惜しむかのように、古いクルマでぎわっていたオートレストラン長島




そんな中、国道23号線(通称名四国道)沿いの愛知県から三重県に入ってすぐの「オートレストラン長島」が去る3月31日13:00をもって廃業という話を聞き、営業日最後の週末の夜となる3月25日に「オートレストラン長島」に行ってきました。

普段は、グローブボックスに仕込んだDVDデッキで自分の好きな映画やお気に入りのアニメのDVDを流しながらドライブするのですが、この時ばかりは「初代セリカGT」自慢の装備の電動アンテナを伸ばして、DVDデッキにコアキシャル2WAYスピーカー+ツィーターにサブウーファーのDVDカーシアターを載せながらも、あえて残しておいたモノラスルピーカーの純正カーラジオで久しぶりに東海ラジオの深夜放送を聞きながら深夜のバイパスを長島に向かってセリカLBを走らせました。

学生時代、まだインターネットも普及してなかった頃は筆者にとって東海ラジオの深夜番組に投稿するのがよりどころだったのですが(実は当時少しは名の知れた常連投稿者でした)こうして東海ラジオの深夜番組を聴くのも随分久しぶりでした。深夜、フロントウィンドシールドグラス越しに見える左フェンダーのロッドアンテナとインパネでプリセットボタン式アナログチューナーラジオがボワっとした光を放っている光景というのは何ともいえない味わい深い物があります。きっと、筆者のセリカLBの新車当時のドライバーも同じ光景を見ていたのでしょう。



「オートレストラン長島」に到着すると、最後の週末の夜とあって、別れを惜しむかのようにぎわっていました。やはり同じことを考える人はいるもので、駐車場を一回りするとそこかしこに古いクルマ(主にハチマル世代)が止まっていました。

隣のトラック駐車スペースには沢山の長距離トラックが休憩していました。最近では滅多に見る事が無くなりましたが、かつては一番星号のような飾りと電飾が施されたトラックが並んでいた時代もあった事でしょう。ドライブインレストランは私たちの生活を支えている物流をそっと見守っている存在でもあることを改めて思いました。

すると自分と同じタイミングで入ってきたRT130系コロナ2000GTが近くに止まった事で、しばしご一緒することになりました。同じ18R-G型エンジンと言っても、排ガス規制前の二連装ソレックスの私のLBと違い、EFI制御の三元触媒付きの118R-GEU型エンジン搭載のファミリーセダンのスポーツグレードとあって音は少々マイルドでしたが、あの時代のトヨタ車のアイドリングや低回転時の「ヒュルヒュルヒュル」という独特のメカニカル音は、筆者にとって幼少期、亡父が乗っていたRX30型トヨペットコロナマークⅡ(所謂「ブタメマークⅡ)」を彷彿とさせるものがあり何とも言えない郷愁にかられました。



ナンバーを見て一瞬「『姫路』とは随分遠路はるばる……」と言ったら「いや、実は僕釧路です。」暗がりでよく見えなかったのですが実は釧路ナンバーのコロナでした。現在は名古屋市となりの刈谷市に住んでるという事でしたが、よくよく聞けば北海道の知人の初期型ジャパンスカイラインのオーナーの知り合いとの事で、これも何かの縁なのでしょうか、むしろこういう思わぬドライバー同士の触れ合いがあるのもまたドライブインレストランの魅力なのかもしれません。



そのオーナーの方はまだ20代半ばにして既にコロナGTの所有歴は6年(!)なんと免許を取って最初に買った愛車がそのコロナで、先日記事にしたTHサービスで部品を調達しながら乗っているとの事、日本のクルマ文化もまだまだ捨てたものではありません。日本国内のクラシックカーの未来にもまだ希望が無いわけでもなさそうです。

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ドライブインレストランもまた、日本の自動車の歴史の一部ではないだろうか




店内に入ると、立ち込める紫煙と荒男たちの会話が飛び交う、どこか昭和のアウトローの残り香を思わせる佇まいに、本来タバコ嫌いの私ですらなんともえいない味わい深さを感じました。生憎、ファーストフード類の自販機はありませんでしたが(よくよく話を聞くと24時間営業の食堂併設のため元々、フード類の自販機は設置していなかったとのことです)、入浴施設があり、「瓶入りコーヒー牛乳」の自販機があったので瓶入りコーヒー牛乳とグリコのアイスでコロナGTのオーナーとしばし旧車について歓談をしました。



今や、どの町でも24時間営業のコンビニやスーパーマーケットがあり、郊外のコンビニならイートインスペースと10t車クラスの大型トラックの駐車スペースを備えた店舗も存在し、深夜まで営業しているファミリーレストランが全国展開してこういった業態のドライブインレストランは難しいのかもしれません。

しかし、自動車の歴史と文化が国家の文化と歴史同然にアメリカにはハイウェイ沿いに今も往時を偲ばせるダイナー形式の店舗が軒を連ね、ウィークエンドナイトにエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーのオールディーズロックンロールをBGMにハンバーガーを頬張り、窓の外にはデュースクーペのホッドロッドやフィンテールのシェビーベルエアやプリマスバラクーダにパンヘッドのハーレー、その向こうにはピータービルトの18輪トレーラーが並んでいるという文化があるように、日本にもマイカー時代の到来当時を偲ばせるドライブインレストランで、加山雄三やキャロル、荒井由実の昭和歌謡をBGMに自販機のカップ麺をすすり、窓の外にはスカGやフェアレディZやセリカにドリームCBナナハン、その向こうには龍のペイントに電飾の煌めく三菱ふそうの10tトラックが並んでいるという光景が文化として昇華できないものかと望むのは筆者だけでしょうか。



自動車やモーターサイクルは部品と技術さえあればいくらでもレストアできます。素人の筆者ですら、情熱と環境に恵まれさえすればスバル360程度ならDIYでレストアできるくらいです。しかし、自動車が持つバックグランドの歴史と文化は一度喪失してしまったら、それを取り戻すための「レストア」はそう簡単に出来るものではありません。トヨタ博物館のイベントで学芸員の方と話す機会があった時には何度か、ドライブインレストランやファーストフード自販機の企画展をリクエストした事があります。

最近では「自販機食堂」(https://twitter.com/jihanki_lunch)というレトロな自動販売機だけの飲食店が群馬県伊勢崎市に開業し話題になったこともありました。(保健所の担当者が食品の自販機の存在を知らず、20年以上「自動販売機の飲食店」という申請が無かったため手続きの仕方を知ってる人が保健所内にもいなかったとか、現時点で日本で最後の自動販売機の飲食店の申請となったという逸話もあります。)古い自動車、モーターサイクルだけでなく、まだ、地方には点在するというドライブインレストランもまた、日本の自動車の歴史の一部として保存の対象にするという事も、自動車というこの国の技術遺産の文化の一部と見なす必要があるのではないでしょうか。

[ライター・カメラ/鈴木修一郎]

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