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更新2018.10.20

ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌詞に登場する「調布基地」今昔物語

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ryoshr

松任谷由実さん(以下、ユーミン)の楽曲が、Amazon Primeをはじめとする「サブスクリプション(聴き放題)サービス」での配信が解禁になった。筆者もカセットテープへダビングしていた頃を思い出しながら、最近ちょいちょいと聴いている。数多くの有名な曲のなかに「中央フリーウェイ」がある。この曲を聴きながら子供の頃の想い出がフラッシュバックしたので、少しお付き合いいただければと思う。

ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌詞に登場する「調布基地」今昔物語

40数年前まで、中央高速は首都高とつながっていなかった


ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌詞に登場する「調布基地」今昔物語
▲筆者(右)と弟(左)。背景のフェンスが調布飛行場のものだ

中央フリーウェイ(中央高速)は、今でこそ首都高速4号新宿線とつながっていて、都内からからそのまま八王子方向に行ける。現在のように、首都高速4号線の高井戸ICと中央高速の調布ICが開通したのは1976年のことだ。それまでは、高井戸ICのある環八から調布ICまでは国道20号線(甲州街道)を通らねばならず、高井戸~調布間の甲州街道はいつも渋滞していた。当時は真っ黒い排気ガスを吐き出すクルマばかりで、周辺住民の多くが辟易していた。かくいう筆者も、調布ICのすぐ近くの小学校に通学しており、夏場は慢性的な光化学スモッグ警報が街中のスピーカーから流されていたのを聞かされていた(警報が出ても、外で遊び続けて吐き気でぐったりしたこともあった)。

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住民の反対運動で完成から開通にも時間がかかったらしい


高井戸~調布間は、実は完成から開通までかなりタイムラグがあったようだ。聞くところによると、「とあるエリア」の意識高い系の住民の皆さんが騒音を争点とした反対運動をしたために、開通が遅れたようだ。そのため、「とあるエリア」の場所にトンネル(シェルター)があるのは、その住民たちの主張のために高速道路をシェルターで覆い、騒音の軽減を図った、というものらしい。

中央フリーウェイの歌詞が「調布」から始まる理由


話を戻そう。「中央フリーウェイ」が収録されたアルバム「14番目の月」のリリースも1976年だったことから、ユーミンがこの楽曲を作る頃には、高井戸~調布間は開通していなかった。歌詞の冒頭が新宿でも高井戸でもなく、調布から始まっていることが、時代考証に照らしても無理からぬこととわかる。

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調布「基地」とは?


そして、「中央フリーウェイ」の歌詞のなかにある「♪調布基地を追い越し〜♪」とはなにか?

実は、当時の調布飛行場は太平洋戦争後から米軍によって管理されおり、その後、1955年に日本の民間飛行機も利用を許され、1973年に日本へ返還されている。それまでの間、飛行場を取り囲むフェンスの内側にもうひとつフェンスがあった。そこには米軍の進駐軍がいた。筆者が小学生の頃の話(昭和40年代)だ。そのような理由から、進駐軍がいたあたりのことを「調布基地」と呼んでいたようだ(このように太平洋戦争に関連する話を書くと自分がすっごい爺さんになった気がする)。
また、調布飛行場の近くには共同の防空壕の跡があった。これは大きなコンクリートの土管のようなもので、内側はかなり広く、バレーボールのコートほどの面積があったように記憶している。内部はいつも薄暗く、そこにいかがわしい雑誌を捨てる人がいたため、小学生の男子には格好の情報収集の場所だった(察してください(笑))。

「基地」へ潜入?


ユーミンの「中央フリーウェイ」の歌詞に登場する「調布基地」今昔物語
▲幼少期からクルマ好きだった

内側のフェンスの向こう側には米軍の飛行機も停まっていたし、ジープで巡回する兵隊さんもいた。7月4日のアメリカ建国記念日には花火が盛大にあがるのをフェンス越しに観ていた記憶もある。まだ、今ほど花火大会がたくさんなかったころだったので、とても珍しかったはずだ。そして、アメリカの豊かさを思い知るタイミングでもあった。フェンスの穴を発見し、基地の敷地内へ侵入し、落ちている機械部品やガムの包み紙などを持ち帰って宝物にしていた(そんな話はとっくに時効のはず、ですよね)。
「ジープで巡回している兵隊さんに中に入っているのを見つかると撃ち殺される」と言われていたので、内側のフェンスの中へ入るときは、それはそれは決死の覚悟で侵入し、慎重に周囲を見まわしながら探検したものだった。小さな冒険そのものだった。本当は見つかるとクルマに乗せられ、補導されるだけだったようだが。

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中央フリーウェイの楽曲が作られた時代はいつ頃か?


「基地」という単語を使っているということから、ユーミンの「中央フリーウェイ」は1973年以前に作品として成立していた可能性がある。もしかすると、ユーミンが調布基地が返還されたのを知らず、調布飛行場のことをずっと「調布基地」と思い込んでいたのかもしれない。または、豊かなアメリカの象徴としての「基地」を歌詞に使うことで、おしゃれ感を出した可能性もある。機会があったら、御本人に聞いてみたいものだ。

調布基地の現在はというと…


すでに調布基地はないことは上記の通り。今は「味の素スタジアム」呼ばれるサッカースタジアムとなっている。調布基地とは言っても米軍の兵隊さんとその家族の住む家といくつかの建物とアンテナがあったくらいで、基本的には広大な野原だった。一般人が立ち入り禁止の大草原だった場所が、今ではたくさんの人が集まるサッカースタジアムになっているということは隔世の感だ。ということから、これからこの唄をカバーする人は「中央フリーウェイ、味スタを追い越しー」として唄うことをおすすめしたい(嘘)。

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実は、中央フリーウェイの歌詞の再現は難易度高し?


また、この唄の歌詞に合わせてドライブをしようとする人は、実はかなり難易度が高いことを理解した方がいい。調布基地(現味スタ)が歌詞に登場するのは、楽曲の12秒目。右に競馬場、左のビール工場が歌詞に登場するのは1分14秒目。そしてその距離は約5km。5kmを1分2秒で到着しようとするなら、ざっくり時速290km/hで走らなければならない。そして、その速度で走りながら「片手でハンドル、片手で肩を抱く」という体制で「愛してる」と言わねばならない。救いとしては、風が強いせいでその言葉が聴こえないことは許容されるらしい。時速290km/h出るクルマを片手で運転できたとしても、どう考えても危険極まりないので、チャレンジする人がいないことを願って止まない。

[ライター・撮影/ryoshr、アイキャッチ画像:GAHAG]

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