クルマ好きが前のめりになる時期がきた!第45回東京モーターショーまもなく

公開日:Posted in 車悦 by

今年は二年に一度モーターショーの年です。各メーカー、メディアからそのティザー情報が出てきていますね。また、出展しないメーカーもだいぶ増えてきました。もしかすると東京モーターショーそのものの存在自体を左右する分かれ道に差し掛かっているのかもしれません。そんなモーターショーを前に、ということを少し書きたいと思います。

※画像は第44回東京モーターショーのものです

子供のころからモーターショーというとなんだかわくわくしたものです。でも結局親に連れて行ってもらったことはあったでしょうか。自分で買っていた自動車雑誌越しの夢の世界、それが最初のころの私のモーターショーでした。やがて自分で出かけることができるようになり、それからは毎回電車に乗ってモーターショーに通う。やがて業界の末席でライターをするようになり、取材で行くようになったという感じでした。

子供のころからモーターショーで楽しみにしていたことは、日本にはほとんど輸入されないクルマにモーターショーでは出会えるということでした。そして毎回楽しみにしていたのはルノーの大型車種の室内に入って椅子に座ることでした。私のころですと25、サフラン、そして輸入はされなかったヴェルサティス。コンパクトなルノーはサンクやトゥインゴなど、日本でもポピュラーでしたが、ルノーの大きなモデルは当時から本当に好きな方のためのクルマでした。そして一方私は、好きも何も、免許もない「がきんちょ」でした。それでもこれ以上ない程ふかふかで、他では体験したことのないような風合いと座り心地のそのシートに身をゆだねれば、それだけでも他とは違うことくらいのことは私にも簡単に感じ取れるものでした。

それからどのくらい時間がたったでしょうか。東京モーターショー、自動車、私たち日本のプレミアム感。すべては変わってしまいました。あの時と同じように、は、あらゆる面でもう求めるのは贅沢なことなのかもしれません。しかしそれでも、一番最初の出会い発見のピュアな驚き、新鮮さのようなものだけは場所として大切にしたい。そんな風に思うのです。

こんなことして何の意味があるのだろう?とか、できっこないよとか、水を差すようなことは本来あってはならないのではないか?と思うのです。自動車を取り巻く環境はどんどん厳しいものになっていると感じます。しかしそれでも、クルマで夢を語ることがそんなにいけないことでしょうか?メーカー各社の技術力はかつて想像したものをはるかに超えるレベルにまで達していることでしょう。だからこそできること、やりたいことを発表する場としてモーターショーが開催されるというのは尊いことだなあと感じるわけです。

限られた資金を何に振り向けるか。これは自動車メーカーほどの大きな所帯にとってもなかなかシビアにならざるを得ない状況ではあるのでしょう。しかし、これだけ今でも自動車は使われている日本で、モーターショーの果たす役割はもはや何もない、といって幕を下ろす日が来るのだとしたら、それは本当に寂しいことです。

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この記事の筆者:中込 健太郎

大手自動車買取販売会社で、クルマの売買業務を経て、本社マーケティングチームに異動。WEB広告を担当し...