日本の自動車文化は、今まさに夜が明けようとしているのか?

公開日:Posted in 車悦 by

このところ日本車メーカーが、レストアや絶版車のパーツの再生産に乗り出すというニュースが一斉にあちらこちらから舞い込んできました。

いいことだと思います。かなりの台数も作るようになり、車種も多いので生産終了から10年経つと、底をついた部品からメーカーのストックはなくなっていくものです。このことを問題視する意見も聞かないでもありませんが、日本のように狭い国土で、無尽蔵にいつどれだけ出ていくかわからないクルマの部品をストックしておくというのは現実的ではないと思います。

あるいはそのメーカーのクルマの値段を3倍にしますとかであれば、コストも捻出できるのかもしれませんが。それはさらに非現実的な話です。これらのニュースはそのくらいのことをするという意味と価値を持っているのだと思っています。

最近思うのは、日本においてようやく自動車文化が花開こうとしている。別のいい方をすれば夜が明けようとしている。そんなところではないでしょうか。

これまた「日本は自動車文化が遅れている」と眉間にしわを寄せていう人があります。海外の自動車はもともと富の証でした。だから必要かどうかではなく、ものすごいこだわりが盛り込まれるのです。性能で他の追随を許すようなことがあってはならないのです。「俺の馬車は馬なしだぜ、いいだろう。」が始まりで、やがて「あの教会の下まで競走だ」が自ずと発生していたに違いありません。そんなクルマですから、払える限りの贅沢を盛り込み、速いクルマを目指す。変ないい方ですが、「文化」を取ったら何が残るのか?そんなクルマさえあったに違いありません。

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この記事の筆者:中込 健太郎

大手自動車買取販売会社で、クルマの売買業務を経て、本社マーケティングチームに異動。WEB広告を担当し...