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週刊中年フライデー

更新2020.08.20

1970年代から1990年代まで!懐かしのF1マシーンたちを振り返る

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山本 圭亮

ども!カレントライフのファンの皆様こんにちは!1週間のご無沙汰でした!今回の「週刊中年フライデー39号」は、マニアの逸品「懐かしのF1マシーンたち!」です!今週も山本編集長と天然系バイト星野がお送りいたします!

ここは、某県の「週刊中年フライデー」編集部。「ギンザーニ派」の編集長と「ナニーニ派」の星野くんのデコボココンビが、編集会議中であります。ちょっと覗いて見ましょう!

yamamoto山本「星野君!今回は『懐かしのF1マシーンたち』だ!」

hoshino星野「編集長!ドックフードですか?」

yamamoto山本「え~と?星野君!それは『ビタワン』だよね。」

hoshino星野「すみません~。ボーリングでもしますか?」

yamamoto山本「・・・・・。それは、『ラウンドワン』!」

hoshino星野「山田くん!あたしに座布団3枚ね!」

・・・・編集部の相変わらずの茶番劇はほっとき、説明しよう!

さあ!皆さん!今回は「懐かしのF1マシーンたち!」ですよ!あのマシーンも勿論出てきますよ!とりあえず行ってみましょう!



タイレルフォード P34 / 主なドライバー ロニー・ピーターソン ジョディー・シェクター

1976年から1977年に活躍したF1マシーンと言えば「タイレルフォードP34」ですよね。この6輪には本当にぶったまげたのを覚えています。F1が日本でまだメジャーではなかった時代に「カード」「ミニカー」「プラモデル」等F1マシーンの中で断トツの露出度だったと思います。デザイナーは「ディレック・ガードナー」。「タイレル」の創成期のデザイナーとして有名で、その最高傑作とも言われています。あっ、私は「ティレル」とは言いません。やっぱりこのクルマは「タイレル」なんです(笑)
そして、代表的なドライバーは「ジョディー・シェクター」ですね。「雨の日のタイレル」と言われ6輪の性能を上手く扱い好成績を収めていました。そして、印象的なドライバーと言えば「スウェーデンの美男子」と言われた「ロニー・ピーターソン」ですね。成績はマシーンの関係上(特にタイヤ)表彰台はわずか1回でしたが人気は高く、あのスーパーカー漫画「サーキットの狼」の「ピーターソン」の名前は彼から名付けたのではないかとも言われています。レギュレーションの関係で2年間ではありましたが、いつまでもF1ファンの記憶に残る1台ですね。

フェラーリ312
▲この時代のF1マシーンのエアダクトは高くてカッコいいです!
Photo by Nic Redhead [CC BY-SA 2.0](Wikimedia Commonsより)

フェラーリ 312T / 主なドライバー ニキ・ラウダ

1975年から1976年に活躍したこの「フェラーリ312T」は、名ドライバー「ニキ・ラウダ」を乗せドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトルを獲得した名車です。そしてこの時代のマシーンの特徴は、エアインテークの高さです。この独特なスタイルがこの時代のデザインの主流でした。デザイナーは「マウロ・フォルギエリ」。ラウダ曰く「天才だが狂人だ」と言わせた男として有名です。「フェラーリ」「ランボルギーニ」「ブガッティ」と渡り歩き数々の名車を生みましたが、このエアインテークスタイルは1977年には廃止されてします。後継車の312T2にはあの「煙突」は消えてしまったのです。
しかしあのインテーク、どこかで見たことあると思ったら「フィアット・アバルトX1-9 プロトティーポ」のリアエンジンフードに付けられていたエアインテークに似ていたような気がしましたが、このF1マシーンまさかX1-9からのアイデアではないですよね?


▲この色は新しいブルーの色を作り出しました!
Photo by Nic Redhead [CC BY-SA 2.0](Wikimedia Commonsより)

レイトンハウス CG901 / 主なドライバー マウリシオ・グージェルミン イワン・カペリ

1990年に活躍した「レイトンハウス CG901」はデザインもカッコ良かったのですが、何よりもそのカラーリングが話題になりました。アパレル会社でもあった「レイトンハウス」は、エメラルドグリーンに似た「レイトンブルー」をチームカラーとして使用し、全世界に「レイトンハウス」と言う会社の存在を轟かせました。又、「LEYTON」と「HOUSE」の間には黒人が頭に籠を乗せているイラストが描かれたいましたが、レースでは1987年以降削除されてしまったと言う逸話もあります。
マシーンのデザイナーはあの「エイドリアン・ニューウェイ」。そうです。この後、「ウィリアムズ」「マクラーレン」そして「レッドブル」と活躍することになるデザイナーです。最近の2015年まで現役で活躍していましたが、この「レイトンハウス」を担当しているときには、ここまで永くに渡り活躍するとはご自分でも思ってもなかったのではないでしょうか?最近では奇抜なカラーリングが少なくなったF1ですが、このマシーンを思い出すと話題になるようなデザイン、カラーリングをもう一度見たくなりますね。


ロータス・ホンダ 99T / 主なドライバー 中島悟 アイルトン・セナ

1987年に活躍した「ロータス・ホンダ 99T」は、あの「音速の貴公子」と言われた「アイルトン・セナ」と「納豆走法」と言われた「中島悟」のコンビで「キャメルイエロー」で包まれたV6ホンダターボで1年間戦い、優勝2回(いずれもセナ)、中島も過去最高の4位と日本人にとっても記憶に残る1台です。デザイナーは「ジェラール・ドゥカルージュ」で「リジェ」「ラルース」と在籍、「鈴木阿久里」のマシンである「ラルース・ランボルギーニLC90」で日本人最高の3位を獲得し、なんとも日本人と不思議な縁を持っているデザイナーでした。
ロータス時代の中島は決して成績が優秀ではなかった(セナやピケがポイントを取っていた)のですが、雨の日になると他の選手がコースアウトしてリタイヤする中、確実な粘りのドライビングをすることから当時のF1アナウンサーであった「古舘伊知郎」から「納豆走法」と言うキャッチフレーズをつけられた事は有名でした。しかし、中には「ジェームス・ハント」のように中島に対し「タクシードライバー」等と陰口を言うドライバーもいました。しかし、F1最盛期の日本でこの「キャメルイエロー」は「レイトンブルー」と並び最も輝いていたマシーンの1台ではなかったでしょうか?


▲ロータスと言えばこのカラーと言う方は古くからのF1ファンだと思います!

ロータス78 / 主なドライバー マリオ・アンドレッティ ロニー・ピーターソン

1977年から1978年に活躍した「ロータス78」は「JPS ジョン・プレイヤー・スペシャル」を一気に日本でもメジャーに引き上げた画期的な1台でした。デザイナーは「コーリー・チャップマン」、そしてドライバーは「マリオ・アンドレッティ」と言えば、オールドF1ファンならたまらないコンビですね。何がこのマシンが後世に画期的な1台と伝えられているかと言うと「グラウンド・エフェクト」の導入でした。
グラウンド・エフェクトとは車体の下の部分と地面の間の空気流を用いて「ダウン・フォース」を得る設計で、流体力学や飛行機を研究し開発されたマシーンでした。結果、二年間で優勝7回、ポールポジションは9回、77年はコンストラクターランキング2位、ドライバーズランキング2位(アンドレッティ)、78年はコンストラクターランキング1位、ドライバーズランキング1位(アンドレッティ)とと好成績を得る事になりました。このマシーンは「タイレルフォード34」と並び70年代後半のF1を代表する1台でした。

yamamoto山本「どうだ星野君!F1は奥が深いだろ!?」

hoshino星野「編集長!そうですね!私はやはり敗者復活戦から優勝した『サンドイッチマン』が好きです」

yamamoto山本「星野君!?それはわかってると思うがM1グランプリだよね?」

hoshino星野「え?そうですね。間違ってました。やっぱり『ツーツーレロレロ』が好きです!」

yamamoto山本「星野君、それは『お笑いスター誕生』ってもはやグランプリがどっか行ってますから~(泣)」

hoshino星野「あれ?(ザ・ぼんち風に)」

と言うことで、今回の「懐かしのF1マシーンたち!」いかがでしたか?来週もマニアックなコラムをお届けできればと思っていますので、次回の「週刊中年フライデー」をお楽しみに!金曜日にまたお会いしましょう~!

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