クルマ趣味のまさに極み!牡蠣ツーリングに行ってみた!

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近年、技術継承者の育成やそれに伴う人材不足が叫ばれていますが、実は式年遷宮は宮大工の技術継承になるという昔の人の知恵とも言われています。

▲荒祭宮に着いた頃にはすっかり日も暮れていました

ところで、今上天皇陛下が皇太子時代から自らクルマを運転されることが好きな自動車愛好家であることはご存知の方は多いと思いますが、実は日本の自動車産業の黎明期と日本の宮家には密接な関係があるというのはご存知でしょうか?

その昔、「自動車の宮様」と呼ばれた有栖川宮威仁親王殿下がフランス留学から帰国の際2台のダラックという自動車を持ち帰り、「自分が皇族の身でなければ自動車の運転手を職業にしたかった」と口にするまで自動車を気に入り、ドライブを趣味にされていたそうです。ある日、威仁親王殿下が運転操作を誤りダラックで事故を起こしてしまい、アクスルを曲げてしまいます。

その時、親王殿下のダラックに同乗していた自動車商の吉田眞太郎、内山駒之助が応急処置で曲がったアクスルを修理するのですが、そのとき殿下は吉田に
「君は自動車を直すことは出来るようだが、このような自動車を作る事は出来ないか?」
と尋ね、すかさず吉田は
「もちろんできます。」
と答えたといいます。これこそ日本の自動車の歴史が動いた瞬間でした。

様々な試行錯誤の末、国産車初のガソリン自動車といわれている明治40年(1907年)吉田式乗用車、別名タクリー号が完成しました。完成したタクリー号は威仁親王殿下にも納入され、愛車として使用されます。

そして明治41年(1908年)8月1日威仁親王殿下主導で日比谷公園に当時は存在そのものが珍しかった11台の自動車が集まり、国立市の谷保天満宮までツーリングするという「遠乗会」が開催されます。この「遠乗会」は日本で最初の自動車イベントととも言われ、陸軍、政財界の重鎮や新聞記者を乗せた自動車は甲州街道を駆け抜けたといいます。

そして谷保天満宮では昼食会の後、交通安全と日本の自動車産業発展の祈願の祝詞をあげ帰路についたといわれています。これが日本での交通安全祈願の発祥とされ、このとき第一生命の創始者の矢野恒太の発案で日本で最初の自動車クラブである「オートモービル・クラブ・ジャパン」が結成され、現在谷保天満宮は地元のクラシックカー愛好家の協力で日本自動車産業の発展を見据えた交通安全祈願発祥の地として、クラシックカーイベントが開催されているそうです。実はツーリングと交通安全祈願は非常に密接な関係があるのです。

我々、東海自動車一行もお伊勢さんをお参りした後帰路につき朝と同様、御在所SAに向かいます。

御在所SAで解散し、筆者もお土産を買って家路につきます。日頃の不摂生が祟り、酷く疲労してしまいましたが、どうにか無事にツーリングを終えることが出来たのもお伊勢さんのお参りのおかげでしょう。しかし、翌日は体調不良で寝込むハメに・・・。

寄る年波とは言いますが、久しぶりのツーリングで体調を崩すという無様さ、クルマはレストアできても老いた人の体をレストアすることは悲しいかな、できないのです。

[ライター・カメラ/鈴木修一郎]

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この記事の筆者:鈴木 修一郎

愛知県名古屋市在住。幼少期より自動車が好きで、物心着く前から関心の対象はニューモデルよりもクラシ...