日本の自動車文化はやっぱり誇らしい。スバル360とVWビートルの「類似性」を紐解く

最終更新日: 公開日:2017-04-19 | Posted in コラム by

世の中には「似て非なる物」という物があります。形はよく似ているがどこか違う。全く違う物のはずなのどこかに似ている。その一つが日本人とドイツ人の国民性ではないでしょうか。協調性を善しとし、義理を重んじ、抽象的な日本人と個人主義で、合理性に徹し、理論的なドイツ人、しかし勤勉で努力家で真面目で規則正しい両国民は、他の国の人からは似た者同士に見えるのではないでしょうか。

外見がVWにそっくりなスバル360は非常に興味深い

スバル360

その似て非なるドイツ人と日本人の国民性を象徴してるともいえるのが、両国の主要産業である自動車産業が生み出した名車VWビートルとスバル360ではないでしょうか。巷間ではスバル360はVWを富士重工が参考にして作ったと思われがちですが、スバル360に関する文献や記述を読み、実際にスバル360の開発に携わった技術者の話を聞いてみると、実際にはそういう単純な話ではなかったという事実が浮き彫りになります。

以前、筆者は「幼少期はVWビートルが好きだった」と書いたことがあります。あの愛らしい丸っこいスタイリングはまさに、子供にとっては漫画や絵本に出てくる自動車の絵をそのまま本物にしてしまったようなユーモラスで愛らしい外見で、就学前の筆者はむしろ大人になったらVWタイプ1のカブリオレを愛車にすることを夢見ていたくらいです。

しかし、その一方で気になるクルマがもう一台ありました。それこそ筆者が免許を取って真っ先に愛車として選び、今は軒下でDIYレストアにいそしんでるスバル360です。幼少期の筆者にとって、西ドイツ(当時)の外国車と日本の軽自動車がマークⅡとチェイサー、セドリックとグロリアのように同一自動車メーカーの兄弟車というわけでもるはずがなく、外見がVWにそっくりなスバル360は非常に興味深い、そして不思議な存在でした。

このVWとスバル360、作られた国が全く違うのにそっくりな形をしている、一体その理由はなんなのかという疑問を抱いた瞬間こそ、筆者が自動車の歴史の探求という深淵に足を踏み入れてしまった瞬間なのかもしれません。

やがて筆者は、VWよりも自国に存在するVWとそっくりな360cc軽自動車スバル360にに興味を抱くようになります。そして筆者は小学1年生にしてVWからスバル360に改宗する決意をしました。就学し読み書きを覚え本も読めるようになると、そこからVWとスバル360への探求が始まりました。

とは、言っても当時はまだスバル360のクラシックカーとしての認知度は今ほど高い物でもなく、少なくとも小学生の私が手に出来る範囲内の本ではVWの情報しかありません。私も長らくスバル360はVWを参考にして作られて物と信じて疑うこともしませんでした。ところが中学生の時、クラシックカーイベントで私がスバル360を好きだという事を知ったとあるスバル360のオーナーの方からもらった、桂木洋二著「てんとう虫が走った日~スバル360開発物語」という本を読んで、その認識が一変する事になります。

フォルクスワーゲンタイプ1、通称ビートル・かぶと虫の来歴

ビートル

その本にはスバル360を渇愛していた少年時代の筆者にとって、スバル360について知りたい事のすべてが記されていたバイブルのような本だったと言ってもいいでしょう。そして、スバル360のあの風貌は筆者の予想とは真逆であるという事実を知ります。その本には「開発段階でVWを参考にした」という記述は何処にもなかったのです。

まず、フォルクスワーゲンタイプ1、通称ビートル・かぶと虫の来歴を見てみましょう。VWの生みの親は偉大なる自動車エンジニア「フェルディナント・ポルシェ博士」、そこに史上最悪の独裁者「アドルフ・ヒトラー」が大きく関わっているというのは、カレントライフの読者の皆様には今更説明の必要はない事かと存じ上げます。ポルシェ博士には終生三つの夢があったと言われています。

「レーシングカーを作る事」
「トラクターを作る事」
「だれでも買える大衆車を作る事」

20世紀初頭、ローナー社で若くして既に才能を発揮していたポルシェ博士が、やがてダイムラー社に招聘されます。当時最新鋭の技術の象徴だった自動車が最新高性能と豪華さを競い合っていた時代、レーシングカーやスポーツカーの設計をポルシェ博士に託されるのは自然な事でした。しかし、利幅の大きい豪華で大排気量の自動車の開発を望むダイムラー社に、ポルシェ博士が「1000ccクラスで高性能で低価格な小型大衆車」を作りたいと言っても聞き入れてもらえることもなく社を去ります。1930年12月、シュトゥットガルトにポルシェ設計事務所を設立し、ドイツ内外の自動車の設計を請け負います。

しかし、小型大衆車を生産するというのは容易な事ではありません。技術的な難しさ以上に、大量生産に対応するには膨大な生産設備投資を要します。それでも小型大衆車の構想を練っていた中、1933年ある人物がポルシェ博士の下に小型大衆車の開発を依頼にやってきます。その人物こそ、かの「アドルフ・ヒトラー」でした。

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この記事の筆者:鈴木 修一郎

愛知県名古屋市在住。幼少期より自動車が好きで、物心着く前から関心の対象はニューモデルよりもクラシ...