もはやスポーツカー=パワーとスピードではない?近年のスポーツカーの存在意義とは

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以前、JUN MASUDAさんの記事に「スポーツカーが売れなくなりスーパーカーが売れるのはなぜか」という記述がありましたが、まかりなりとも、何度か自動車整備関連の仕事に従事し、クルマに関する執筆をするようになった身としては、輸入車国産車問わずスポーツカーが売れなくなったというのを体感的に感じるのは事実。

それどころか最近ではスーパーカーメーカーまでSUVに触手を伸ばし始めたあたり、実際のところスーパーカーメーカーもこの流れに抗うことは年々難しくなっているのではないかとすら思えてきます。スポーツカーが売れなくなった要因はさまざまあるかとは思いますが、個人的にはその最大の要因として「もはやスポーツカーの存在意義が薄らいでいるのではないか?」というのがあると思います。

年々中古のスポーツカーが高騰する現実

こんな事をいうと「何言ってる、スカイラインGT-RもRX-7も中古車市場じゃ価格が天井知らずで跳ね上がってるし、みんなスポーツカーが無くなって中古車を血眼になって探してるじゃないか」と思う方もおられる事でしょう。

でも、色々な人の話を聞いていると求めているスポーツカー像はおおむね、「2002年の真夏の悪夢」以前のスポーツカーであって、現代の時代の要請を満たしたスポーツカーではないように感じます。自動車メーカーにとってコスト、環境性能、なにより安全性やリコール問題などの現在の時代の要請を満たしつつ、スポーツカーとして存在意義の濃厚なクルマを作るのは非常に困難な、ある意味スポーツカーにとって残酷な時代になってしまったのかもしれません。

スポーツカーに抱くものと言えば?

読者の皆さんがスポーツカーに抱くイメージといえばスピード、ハンドリング、流麗なデザイン、ハイエンドのメカニズムと言ったところでしょうか。かつてはスピードやパワー、ハンドリングといった動力性能はスポーツカーの象徴のような物であり、また特権でもあり、動力性能を得るためには、余分にお金を払い、多少の快適性や実用性を犠牲にする必要がありました。

中にはその両立を試みた「スポーツセダン」というカテゴリーも存在しますが、かつて「羊の皮を被った狼」と呼ばれた国産車を代表するスポーツセダンのスカイラインGTは、一方でその歴史はGTスポーツとしての動力性能と、ファミリーセダンとしての実用性の狭間でもがき苦しんだ歴史でもあります。

スピードのためにスポーツカーは不要になってしまった現在

しかし技術の進歩は目覚ましく、とくに環境性能の要請から高効率が求められた結果、今や軽自動車から高級車まで車格を問わず基本性能が非常に高くなり、場合によってはライトバンやコンパクトカーですら20~30年前のミドルクラスのスポーツカーを凌ぐ事もあると言います。かくいう筆者の1973年製造のセリカLBも、ゼロ発進の全開加速に関しては今時のターボ付き軽トールワゴンの方がよっぽど速いという有様です。今や動力性能を手に入れるのにスポーツカーである必要は無いのです。

スポーツカーに押し寄せるイージードライブ化の波

それどころか、スポーツカーとスポーツカー以外のクルマの逆転現象ともいうべき事象も発生しています。国産車が黄金期を向かえた90年代でさえ200馬力を超えるクルマはごく限られ、当時の自主規制いっぱいの280馬力のクルマと言えばごく一部のフラッグシップモデルのスポーツカーに限られていました。

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この記事の筆者:鈴木 修一郎

愛知県名古屋市在住。幼少期より自動車が好きで、物心着く前から関心の対象はニューモデルよりもクラシ...