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コラム

更新2020.08.21

イオタSVRだけではない。ランボルギーニ イオタのレプリカに迫る

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中野 ヒロシ

ランボルギーニ ミウラが生誕50周年の節目を迎え、前回の記事ではその誕生した背景とともにファンの多いイオタの謎に迫った。ここではランボルギーニが1台のみを制作したイオタをリアルイオタと表記する。


▼前回の記事
生誕50年のランボルギーニ ミウラの背景を交え、違いが多いイオタを振り返る
https://www.gaisha-oh.com/soken/jota-the-cryptic/

今回はミウラをベースとしたイオタレプリカの詳細を掘り下げていきたいと思う。

イオタレプリカについては、本物が4台または6台存在するなど諸説ある。そのイオタレプリカが生まれた経緯も含めて解き明かし、ひとつの答えに迫っていきたい。

※イオタレプリカのことを「SVJ」と呼ぶことが多いが、ミウラ SVをベースとしたイオタ仕様であることをSVJと表現していたり、単にイオタレプリカをSVJと表現していたりする場合があるので、この表現は避ける。また本物と定義する際に、ランボルギーニのファクトリーで製作されたものなのか?ということを重要視して説明を進めていく。

続いて、ランボルギーニのファクトリーで製作されたイオタレプリカの仕様の詳細について紹介する。すべてのイオタレプリカが同一の仕様ではなく、個体それぞれ装備が若干異なっている。外装面では固定式のヘッドライト、フロントノーズに取り付けられたチンスポイラー、フロントカウルのグリルが取り払われクイックリリースタイプのフューエルキャップに交換、2本あるワイパーを1本に簡略化、フロントカウルとリアカウルにエアインテークを追加がされている。エンジンは3気筒を1つにまとめた特徴的な4本出しマフラーの他に、BENDIX製のフューエルポンプなどミウラとの相違点がある。



スーパーカーブームの洗礼を浴びた人々のみならず、クルマ好きの日本人なら、イオタと言われれば、ほとんどの人がこのクルマを思い浮かべるだろう。通称「イオタ SVR」と呼ばれるこの個体は、1968年製のミウラ P400をベースとしたイオタレプリカだ。70年代のスーパーカーブーム時にはイベントに登場し、サーキットの狼にも登場している。また、その唯一無二のスタイリングや、あまりにも特別な存在でミステリアスであることから、現在に至るも絶大な人気を誇っている。

余談だが、このSVRという呼称は最初から名付けられていたわけではなく、後から付けられたものだ。たった1台しか存在しないクルマに対して名前が後から生まれ、共通認識として持てている状態であることは類まれな事象であり、伝説とも呼べる存在だからこそ起こりうることなのだろう。

イオタ SVRは、ドイツでランボルギーニのディーラーを営んでいたHubert Hahne(ヘルベルト ハーネ/フーベルト ハーネ)のオーダーによるもので、BBS製のホイールをランボルギーニへ持ち込んで製作を依頼したとのことだ。当時ランボルギーニのイオタ仕様へのカスタマイズは、ランボルギーニ本社の整備部門で行われていた。シャシーナンバー3781のミウラはここでイオタ仕様となり、1975年に納車される。その後1976年に日本へ上陸し、愛知県の東名モータースなどが所有していた。2015年には赤坂のビンゴスポーツの在庫車となり、既に顧客の手に渡っている(2016年4月現在)。数年前に日本でフルレストアが行われ、ブラックだった内装はオリジナルのマスタードへ変更されている。

他のイオタレプリカとは異なる部分が多く、当時最新のタイヤであるピレリP7や、BBS製のホイール、通常より太いタイヤを収めるために広げられたリアフェンダー、ルーフにはスポイラーが装着されている。

イオタ SVRを作ったHubert Hahneであったが、本物のイオタが現存していた時にファクトリーでその姿を目撃し、イオタに魅了されてしまった一人だという。イオタ SVRを作る以前にもランボルギーニにイオタ仕様のミウラを注文している。それがシャシーナンバー4860のミウラ SVだ。1973年に納車を行っていて、最初はブラックであった車体色はシルバーとなり、この個体は現在も日本に存在する。40Lの燃料タンクを追加していることがこの個体の特徴だ。

ちなみにHubert Hahneは自身のイオタレプリカを参考に、ドイツでイオタレプリカを複数台作ったと発言している。スーパーカーブーム時の日本でも、イオタであればイベントでのリース料が高くなるなどしたため、多くのミウラがイオタ仕様へ改造されている。商売する上で、イオタであるという箔を付ければ高く売れるのは、世界各地でも同じだったのだろう。



次に紹介するのは、最初に作られたとイオタレプリカと考えられるシャシーナンバー4934のミウラ SVだ。この個体は当時の前イラン国王からオーダーされたもので、1972年に納車されている。1979年にイラン革命が起き、オーナーが亡命したため、1995年まで放置されていたそうだ。ニコラス・ケイジなどが所有し、現在ではスイスのコレクターが所有している。

ランボルギーニ側はイオタレプリカの製作はかなり大きなコストが掛かるようで、多くの依頼を断っていたそうだが、重要な顧客であった前イラン国王から同様の依頼があり、社長のフェルッチオ・ランボルギーニはそれを承諾。エンジニアのパオロ・スタンツァーニとテストドライバーのボブ・ウォレスは完成度の高いミウラ SVをベースに細部に至るまで手を加えた。結果としてモディファイにかかった費用は1380万リラとなり、ミウラSV本体の価格である880万リラを大きく上回る額となったそうだ。




次に紹介するのは、シャシーナンバー4990のミウラ SVベースのイオタレプリカで、これはハイチ国王が所有していたとされる個体だ。正確には、ハイチの首都ポルト−プランスでホテルのオーナーであったAlberto Silvera(アルバート・シルベイラ)がオーダーしたものだ。様々な高級車を所有するコレクターで、このイオタの他にも特別なランボルギーニをオーダーしている。首都のポルト−フランスはフランス語で王子の港という意であることから、ハイチの王が所有していたという説が出たのだろう。次のオーナーはハイチを独裁的に支配したデュバリエ大統領で、1986年にフランスへ亡命した際にこのクルマもフランスへ渡り、1996年に日本へ上陸。その後、2010年にヨーロッパへ再び渡った。

そしてシャシーナンバー5090のイオタレプリカがこちら。この個体はミウラ SVをベースとしていて新車時からイオタ仕様であったそうだ。最初はフランス人のオーナーが所有し、その後持ち主が変わり、メタリックグレーに塗り替えられる。現在はイタリア人のオーナーが所有していて、再び車体色が変更されている。

雑誌でイオタとして登場することの多いこの個体は、シャシーナンバー4088のミウラ P400Sをベースに、1986年にイオタレプリカへモディファイされた。このイオタレプリカはパトリック ミムランがオーダーしたもので、パトリック ミムランは兄弟でセネガルでの砂糖ビジネスを成功させ、当時ランボルギーニ社のオーナーでもあった。チンスポイラーの形状は他のイオタレプリカと異なるのがポイントだ。

こちらのイオタレプリカは70年台のスーパーカーブーム時に日本に存在していたことから、見覚えのある人は多いかもしれない。ランボルギーニのファクトリーで製作されたイオタレプリカと断言はできないが、その可能性を秘めた個体だ。シャシーナンバー4892のミウラ SVで、元々は白いボディに青い内装だったようだ。そこからイオタレプリカへのモディファイが施され、1977年にトミタオートにより日本へ上陸、各地で行われたイベントに出展された。

長らく日本にあったのだが、2007年にアメリカのコレクターが所有し、2015年にRMオークションに出品され、2億円を超える額で落札された。

かつてシャシーナンバー5100のミウラがイオタレプリカなのではないかとされていたが、その説は疑わしい。前回の記事でも紹介したように、かつてリアルイオタのシャシーナンバーとされていた5084がイオタレプリカで、さらに5113もイオタレプリカであるという説が濃厚だ。

5084、5113のどちらかのイオタレプリカは、シーサイドサービスが70年代に日本に持ち込んでいて、どうやら現在も日本にあるものと考えられる。この2台についての画像などは無く、詳細も明らかにされていないため未だ謎に包まれている。しかし、その謎が多くの人を虜にさせてしまうのは間違いない。

この記事ではイオタレプリカして考えられる個体を可能な限り取り上げたが、新たな情報がもたらされれば、ここで紹介した個体以外の存在が確認されるかもしれない。鎌倉幕府が始まった年号が変わったように、史実が塗り替えられる可能性は十分にある。

イオタへの熱い想いがイオタレプリカを生み出したのは明白だ。そして、その想いは今後も語り継がれ、イオタはこの先も憧れの存在であり続けるはずだ。姿無きリアルイオタの幻影を追い続ける人々の物語に終止符が打たれることはないだろう。

[ライター/中野ヒロシ 画像出典Youtube]

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