本物のイオタは1台?幻の存在であるランボルギーニ・イオタ

最終更新日: 公開日:2015-02-24 | Posted in コラム by

ランボルギーニ イオタ。まもなく生誕50周年を迎えるこのクルマが、半世紀過ぎてもなお世界中のカーマニアを魅了しつづけています。半世紀も前に誕生したクルマが、電気自動車や自動運転が普及しはじめている21世紀の現代においても色褪せることなく、むしろその存在感を増しているように感じられるのは気のせいではないように思います。

ベルトーネ社のチーフデザイナー、マルチェロ・ガンディーニが生み出した傑作・ランボルギーニ ミウラ

1965年のトリノショーにおいて、剥き出しのシャーシに、60度V12エンジンが横置きに搭載されたミッドシップレイアウトとおぼしき車両(?)がランボルギーニブースに展示されました。それが後のランボルギーニ ミウラP400として世に送り出されるクルマです。このPとは、Posteriorの頭文字を取ったもので、ラミッドシップマウントする意味合いを持ちます。生まれながらに人々を魅了する強い引力を持つクルマの誕生です。ランボルギーニ イオタのルーツが、このミウラにあることはいうまもでありません。

ランボルギーニ イオタ誕生の経緯とネーミングの由来

ランボルギーニ社の創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニにとって、他の何よりも速く・美しいロードカーこそが自身の理想系だったようであり、自社のクルマがレースフィールドに送り出すことを望んでいなかったという説が有力です。事実ミウラは、当時のフェラーリはおそか、レーシングカーをも凌ぐ性能を発揮したのです。しかし、当時のランボルギーニ社は、まだ新興メーカーという位置付けでした。地位も名誉も確立されていない時代にレースフィールドで勝利を収めることが、名実ともに名門の仲間入りを果たす最短かつ最良の方法であるという声は、フェルッチオ・ランボルギーニの耳にも届いていたに違いありません。

1969年11月、フェルッチオ・ランボルギーニ社のテストドライバーであった、ニュージーランド生まれのボブ・ウォレスは、ランボルギーニ ミウラをベースにしたレーシングバージョンを製作することを計画。同社から許可を得ます。このクルマは、FIA(国際自動車連盟)の車両規定J項目に合致する性能にちなみ、J(ギリシャ語でイオタ)と呼ばれました。

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この記事の筆者:江上 透

CL副編集長。輸入車関連のセールスプロモーション、ウェブサイト、紙媒体、ラジオ番組の企画/制作/運営...