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コラム

更新2020.08.19

キャデラックの歴史を紐解けば紐解くほど、アメ車復権のカギが見える

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鈴木 修一郎

ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任し、日本でアメリカ車の販売が伸びないのは日本の制度が輸入障壁となっているという発言が物議をかもしている昨今でありますが、しかし一方で実は日本こそ主要な輸出先となっているアメリカ車も少なからず存在します。

その一つがアメリカ車のヒエラルキーの最上位に君臨し「富の象徴」「アメリカンドリームの成功者の証」とも言われているキャデラックではないでしょうか。実はあまり知られていないのですが、キャデラックはその知名度の高さとは裏腹に、意外やアメリカ国内のマーケットに特化したモデルであり、実はキャデラックの輸出先の国は意外に少なく、中国と中近東そして日本であり、ヨーロッパで一部の好事家が並行輸入していた程度で、ヨーロッパ市場を視野に入れたグローバル展開をはじめたのは意外と最近に入ってからです。日本でいえばトヨタクラウンに相当するブランドかもしれません。アメリカ車が苦手とする日本市場ですが、今も昔もキャデラックにとって日本は重要な海外市場の一つであるというのも事実です。さてこのキャデラックですが歴史を紐解いていくと非常に数奇な歴史を持つ自動車ブランドあることが見えてきます。

高級車キャデラックのルーツとは?




キャデラックの設立には二人の「ヘンリー」という人物が深くかかわっています。その一人が精密工作技師でありキャデラックのブランドを発案した「ヘンリー・マーティン・リーランド」です。リーランドは南北戦争時、銃器製造に携わり部品の規格化と品質の安定化の重要性を熟知し、19世紀末にはアメリカで精密工作では名の知れた存在になっていました。そのころ、もう一人の「ヘンリー」という人物がアメリカで自動車製造に乗り出すべく自動車会社を設立します。しかし、収益性の高い高級車を生産したいという他の経営陣と、安価な大衆車を大量生産することを志していたヘンリーの意見が対立し、ついに創設者で社長であったヘンリー自ら社を去ってしまいます。そのもう一人の「ヘンリー」こそ、後に史上初の大量生産方式による安価な大衆車「フォードT型」を世に送り出した自動車王「ヘンリー・フォード」でした。

社長であったフォードが去り、残された経営陣がフォードの後任にと招聘したのが「ヘンリー・リーランド」です。しかし、フォードが去ってしまった事により当初のヘンリー・フォード・カンパニーという社名を変更せざるを得なくなり、当初はリーランドの名を使用することも打診されたようですが、リーランドは自らこれを固辞します。リーランドは相当な愛国者だったようで、自分の名を冠するよりもデトロイトを開拓したフランス貴族アントワーヌ・ロメ・ドゥ・ラ・モト・スィゥール・ドゥ・カディヤックにちなんで「キャデラック」と命名することを望みます。大衆車のフォードと高級車のキャデラック、対局するはずのこの二車にはどちらもルーツが同じという奇妙な縁があります。

新生「キャデラック」のリーダーとなったリーランドはまず、自動車の部品の規格化と品質の均一化に着手します。それまでの自動車は全て一点生産で、部品のサイズも違い故障するたびに現車に合わせて補修部品を作り直さなければならず、修理や整備は非常に手間と時間がかかる物でした。そこでリーランドは全ての部品を規格化し、互換性を持たせることで、常に補修用の部品をストックし、出先で故障してもその場で近くのサービスステーションに持ち込めば即修理対応可能なサービス網を構築することも可能となりました。

1908年キャデラック車は3台の車両を分解し部品を混ぜ合わせ、再び組上げた車両を問題なく走行させ721点に及ぶ標準部品の互換性を証明するというデモンストレーションで、画期的な自動車技術を発案したメーカーに贈られるヨーロッパで最も権威あるロイヤル・オートモービル・クラブのデュワー・トロフィーを受賞し、高級車メーカーとそての地位を不動のものとします。

ところで1908年といえば奇しくもヘンリーフォードが部品と製造工程の共通化、規格化で流れ作業による大量生産方式を確立し、世界初の大衆車フォードT型を送り出した年でもあります。高級車と大衆車、一見対局の存在に見えてどちらも規格の標準化と品質の安定化は重要な要素だったことがうかがい知れます。キャデラックは1909年には1908年に企業家ウィリアム・クラポ・ビリー・デュラントによって設立されたGM(ジェネラルモーターズ)にグループ入りし、GMブランドにおける高級車ディヴィジョンとしての地位を確立します。

しかし、その一方でリーランドに悲劇が襲い掛かります。1908年リーランドの友人であり同様に自動車エンジニアであったバイロン・J・カーターが、道端で止まってしまったキャデラック車のエンジンの始動が出来ずに困ったいた女性を助けようと、エンジンを掛けようとしたところクランクハンドルが逆回転し、あごと腕を骨折する重傷を負い入院中に合併症による肺炎を患い亡くなってします。初期のガソリンエンジン車のあのクランクハンドルでエンジンを始動する操作は困難な上に時に危険を伴うものだったのです。
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キャデラックの歴史は車装用品の歴史そのもの



自社の自動車のトラブルが遠因で友人を亡くしたリーランドはその悲しみから、簡易にエンジンを始動できる方式を模索します。最終的には自動車電装用品メーカーのデルコ社の電気モーターによるスターターシステムが採用され1912年には世界初の電気モーター式のエンジンスターター装置が採用されます。当初はオプション装備でしたが、このシステムは瞬く間に普及し、数年後にはアメリカのほとんどの車両が採用し、1917年にはフォードT型もオプションで採用するまでに普及します。1920年代には世界中のほとんどの自動車が電気モーター式スターターを採用し、日本でも昭和初期のダットサンやトヨタAA型も電気式スターターを搭載していました。クラシックカーのアイコン的なあの手動クランクハンドルによる始動操作が行われていた時代は思ったよりも短い期間だったのです。キャデラックは同時に電気式ヘッドライトも採用し、それを皮切りにその後、量産車初のV型8気筒エンジン、フルシンクロ機構付きトランスミッション、ダブルウィッシュボーンサスペンション、パワーステアリング、オートマチックトランスミッション等、最先端技術を積極的に取り入れていきます。

しかし1914年第一次世界大戦が勃発、愛国者であったリーランドは軍需品エンジンを供給することを進言しますが、GMはこれに応じずついにリーランド自らキャデラックを去り、軍需用エンジンを製造する会社を立ち上げ、またもリーランドは自身の名を社名に冠することなく、敬愛していた偉人エイブラハム・リンカーン大統領にちなみリンカーンモーターカンパニーを設立し軍用機用のリバティエンジンを軍に納入します。戦争終結後、リンカーンは高級車メーカーとなりますが、不振に終わり1922年には因果なことにフォードに買収されます。実はリーランドはアメリカで市場を二分する高級車ブランド「キャデラック」「リンカーン」を両方創設した事になります。

1929年に発生した世界大恐慌によりキャデラックは販売不振に陥りますが、ニューディール政策による景気改善と経営学者ピーター・ドラッカーによる「キャデラックを所有することがステイタス」という付加価値を販売戦略に盛り込むというアドバイスで再び高級車ブランドとして君臨します。

その後第二次世界大戦が勃発、戦時体制下により民間車両の生産が中断されますが、戦争終結後、新型車の開発が再開されると、1948年には自動車初の曲面ガラスを採用し、後に50’sアメリカンの象徴ともなるテールフィンを採用、やがてアメリカのみならず世界中の自動車メーカーがこぞって採用することになります。

1950年代に入るとフロントグリルと一体化したデザインの巨大なクロームメッキバンパーを採用し、前述のパワーステアリングやオートマチックトランスミッション、パワーウィンドー、エアコンを次々に採用、ついには「キャデラックの全長よりも装備品のリストの方が長い」と言われるまでになります。そして1959年には歴代キャデラックで最も煌びやかと言ってもいいシリーズ62を発表します。中でも最上級グレードのエルドラドはオートマチックトランスミッション、パワーステアリング、エアサスペンション、パワーウィンドー、自動調光ライト、6ウェイパワーシート、エアコン、オートクルーズシステム、オートクロージャートランクまで備え、オープンモデルのビアリッツは幌の開閉操作まで電動式となっていました。キャデラックの歴史は車装用品の歴史そのものと言っても過言ではないでしょう。

日本でもキャデラックの存在感が増してくる


日本では第二次大戦前からヤナセによって輸入され、戦後はGHQのダグラス・マッカーサー元帥の専用車両や昭和天皇の御料車として使用され、力道山や石原裕次郎等、名だたるスポーツ選手や映画スターの愛車として使われたことから、富める国アメリカのへの憧憬の象徴でもありました。

その後、アメリカが斜陽化しオイルショックでキャデラックはダウンサイジングや前輪駆動化等で迷走しますが、1990年代には右ハンドル仕様を採用し、長らく輸出が途絶えていたヨーロッパ方面への市場展開を再開、再び高級車ブランドとしての地位を取り戻そうとしています。最近ではオバマ大統領の専用車の通称「ビィスト」と呼ばれる戦車のような装甲を持つ特注リムジンが話題になったのは記憶に新しいかと思います。

現在では世界的な自動車の低燃費化の要望から、キャデラックもATSモデルで直列4気筒2リッターのダウンサイジングターボエンジンを採用するに至りました。現行ATSには右ハンドルが設定されていませんが、もし今後日本の税制面で有利な2リッターモデルのキャデラックに右ハンドルモデルが追加されれば日本の輸入車市場でも再びキャデラックの存在感が増してくるのでは?と思えてきます。

[ライター/鈴木 修一郎]

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