カーゼニ
更新2018.10.01
大企業によるピントはずれな商品キャンペーンはなぜ生まれるのか?自動車業界も例外ではない
伊達軍曹
しかし世の中のさまざまな実相を見るにつけ、「意外とそうでもないのかな?」と感じてしまうこともしばしばである。例えば「どう考えてもこりゃ売れないでしょ!」という国産新型車の登場を目の当たりにしたり、大企業によるピントはずれな商品キャンペーンなどを目撃した際に、そのように思うのだ。
一例を挙げるなら、某清涼飲料水がちょっと前に行っていたキャンペーンというか、商品の打ち出し方である。
「おにぎり公式飲料」という最悪のコピー
その飲料の製造販売元(の親会社)は、大学生の就職人気ランキングでもベスト20ぐらいには確実に入る超有名老舗大企業で、ハッキリ言って入社はかなりの狭き門だ。平均年収も高い。
自分は一時期その企業と少しだけ関係があったのだが、末端の営業社員もたいていは「早稲田の一文卒」とかであり、当時のわたしが知る支店長は慶應卒であった。営業社員と二人して、よくわからないが「ソーケイセンがどうのこうの」という昔話をしていたものだ。末端の営業マンと支店長でそれなのだから、社長はスタンフォード大学を主席で卒業したのではないだろうか? 知らないが。
そんな企業の(清涼飲料子会社の)マーケ部門が数年前、とあるお茶系ペットボトル入り飲料のことを「おにぎり公式飲料」であると、広告内で位置づけた。
どう考えてもかなりの悪手である。
なぜならば、おにぎりというのは日本人にとってはあまりにも「人それぞれの思い入れ」が強い食べ物だからだ。
「子供の頃の運動会。普段はパートで忙しいお母ちゃんがその日だけは仕事を休んでくれて、朝からおにぎりをこしらえてくれたよなぁ。おにぎりと一緒に飲んだ魔法びんに入ったほうじ茶の味、今でも覚えてるよ……」なんてしみじみしている40代のサラリーマンも、たぶん日本のどこかにいるだろう。
あるいは「ウチでは、今はもう亡くなったおばあちゃんがよくおにぎりを作ってくれました。可愛くないカタチが逆に可愛いかったなぁ。で、おばあちゃんがいつも淹れてくれたのが番茶。アレ、ほんとうにおいしかった。おばあちゃん、今も天国でワタシのこと見守ってくれてるかな? ぐすん」と涙ぐんでいる女子大生だって必ずいる。
またあるいは「なぜかおにぎりを肴にさ、当時はまだ元気だった親父とビール飲んだよ。18の時かな? 本当はいけないんだけどさ、あはは……。苦かったけど、おいしかったよ、親父とおにぎりをアテに飲んだビールは」。そんな想い出を持っている53歳(自営業)だっているはずだ。
なぜ「優秀な人」がこんな簡単なことに気づかないのか?
ここに例として登場した「ほうじ茶」「番茶」「ビール」のうち、どれがおにぎりという食べ物にもっともマッチする飲料なのか? というのは問題ではない。正解はないのだ。というか、おにぎりと飲料の組み合わせには「それぞれの記憶とそれぞれの正解」があるだけなのだ。それが、日本人にとってのおにぎりだ。
長々と書いたが、わざわざ書くまでもない自明の理であろう。
しかしなぜか、かなりの狭き門をくぐり抜けてその企業に入社し、そして(たぶん)念願のマーケティング部門に配属された「優秀な人」が、おにぎりに関するそれぞれの正解を無視し、それぞれの想い出を踏みにじり、「我が社のコレが公式の、つまりは絶対的な、おにぎり用の飲料である」と宣言したのだ。
……そんなのニッポンの民草から支持されるわけないではないか? ほんのちょっとでも考えればすぐにわかることじゃないか?
その打ち出し方がその後、いわゆる炎上したのかどうかは知らない。ただ、今現在はそのフレーズを使っていないことから考えると、やはり圧倒的に不評ではあったのだろう。気づいてくれて良かった。というか「やる前に気づけよ」という話ではあるが。
高学歴な自動車メーカー社員もたまに「やらかす」
このように、「優秀な人」であると推測される高学歴者も、時おり信じがたいミステイクをおかす。
その詳細なメカニズムや因果関係は、高等小学校しか出ていない自分にはまったくもって不明だ。しかし「ペーパーテストに対する処理解決能力」と、「世の中の実際のあれこれに対する処理解決能力」とは、そのままイコールではないのだなぁと、おぼろげに思うのみである(ただもちろん、それがほぼイコールになっているすごい人も多いことは知っている)。
そしてこういった珍現象は、クルマの世界においてもたまに発生する。
日本の自動車メーカーでいえばたぶんトヨタなどがその最たるものだと思うが、他のメーカーであっても、そう簡単に入社できるものではない。高等小学校出の自分などは絶対に入れないし、ましてや花形である開発部門に配属されることなど2億パーセントない。そういった会社のそういった部門で働いているのは、皆いわゆる「優秀な人」である。
が……あくまで例えばではあるが、本当に現行プリウスのあのカタチで売れると思ったのだろうか? なぜそう判断したのだろうか? 少しでも考えれば「そりゃ売れないよね(笑)」とわかる案件ではなかったのか?
すべては謎である。
「ダイハツ アルティス発売」という謎現象
だが現行プリウスのデザインに関しては「チャレンジした結果の討ち死に」という見方もできる。そして「チャレンジ」には価値がある。その意味で、現行プリウスのデザインを酷評するのはフェアではないのかもしれない。わたしは「挑戦し、敗れた人」を愚弄する趣味はない。
しかしこれはどうなんだろう? ダイハツの「アルティス」だ。
おそらく一部のカーマニアしかご存じない車種かと思うが、現行トヨタ カムリのダイハツ版である。
……軽のお客さんばかりが集うダイハツ販売店で、コレが多少なりとも売れるだろうと本社が判断した理由は何だったのか?
2017年のダイハツ アルティスの販売台数はわずか98台。「そりゃそうでしょう」と思うと同時に「98台も売れたのか!」とも思う。
繰り返しになるが、大変優秀なはずの「自動車メーカー本社の人」が、なぜコレの販売に踏み切ったのだろうか。
すべては謎である。
[ライター/伊達軍曹]