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カーゼニ

更新2017.05.08

原稿料を増やすためには「著名自動車評論家」を目指すしかない?

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伊達軍曹

数年前。自分は晦日すなわち月末ということで「さて今月の稿料入金はいかほどかしらん?」と、地元信金のネットバンキング機能をパチリと叩いてみた。しかし入金がない。や、ないこともないわけだが、長屋の賃料を払ったうえで米、味噌、醤油を買うといくらも残らない……という程度の入金しかないのだ。

わたしの原稿料はどうすれば増えるのだろうか?




「なぜだ?」と思ったが、考えてみればこれも道理である。仕事の発注がないのを良いことに、日がな神宮球場の三等席に陣取り弱小職業野球球団の応援を行う、近隣の公園にて自作のポエトリーを鳩に聴かせる、上沼部村は丸子堰へ赴きスズキ釣りにいそしむ……などばかりしているのに、入金があるほうが逆におかしい。

「なるほど道理である」と納得した自分だが、人は「納得」で米、味噌、醤油を買うことはできない。ましてや自分はそれ以外にお刺身や納豆、そしてできれば清酒や甘いモンなども購入したいと熱望している。

しかしその購入にはゼニがいる。ゼニがないのに商品棚から目当ての物品を自宅に持ち帰るのは、これすなわち犯罪。自分は犯罪をおかすつもりはないので、やるべきことといえばゼニを増やすこと、つまりは「稿料の入金額を増加させること」だ。

そう考えた自分は神宮球場三等席のチケットをばとりあえず破り捨て、「いかにして自分の稿料を増大させるか?」という非常に重要かつリアリズムあふれるイシューについて長考に入った。

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広告畑への転身で「単価UP」を目指す




世の大多数を占める愚民は、この種の問題を「もっと頑張る」「各方面に営業をかける」などの浅知恵でもって解決せんとするのだろう。しかしそれは自分のような大賢者からすれば片腹痛いほどの浅知恵でしかなく、カンラカンラと嗤うほかない。

なぜならば、まず「もっと頑張る」であるが、人間の頑張りというものには自ずと限界があり、それだけで物事を根本解決するのはほぼ不可能だからだ。まぁ自分の場合は神宮球場三等席で放蕩に耽りすぎているというのも事実なため、そこの分量を若干減らし、もうちょい実業のほうを頑張る……というオプションは確かにあるだろう。

しかし今、紙媒体/ネット媒体を問わずエディトリアル系の原稿料相場は低下の一途をたどっている。や、よく考えると「低下の一途を辿っている」ことを示す客観的エヴィデンスを自分は持ち合わせていないことに今気づいたが、体感および経験から言わせていただくならそんな感じであり、おそらくはそれなりの事実である。

そんな状況下で「もっと頑張る」「各方面に営業をかける」などしたところで、少々の入金額増加はあれど抜本的な解決には決してならない。それでいて激務のため身体を壊したり、あるいは土下座営業に行った先で、負け犬が漏らした水瀉便のごとき扱いを先方から受けて心を壊したりするだけの結果になることは、目に見えているのだ。

自分が今やるべきことは「頑張る」「営業する」ではなく、「単価を上げる」である。

しかし単価を上げるといっても、今現在取引がある企業の親方に「すみませんが稿料の単価を上げてください。3倍……と言いたいところですが2倍で勘弁して差し上げます。感謝してください」と言ったところで、殴打打擲されたうえで契約解除となるだけだろう。そこが、残念ではあるが紙/ウェブを問わずエディトリアル系の限界である。

それゆえわたくしが考えたのが「広告畑への転身」だ。

座って相槌を打つだけで10万円という世界




広告系とエディトリアル系では本当に、思わず笑いながら失禁したうえでラジオ体操をコンプリートしたくなるほど、単価が違う。

どのぐらい違うか? ということについて、わたくしの実体験で語ろう。

以前、とある新型車の宣伝広告に関連する仕事をした。具体的には、とある自動車メーカーの重役氏と、とある文化人が、とある新型車に関する対談を行う。で、それに関する司会進行役と原稿のとりまとめを不肖わたくしが行い、後日、その模様を公式サイトに掲載する……という案件であった。ちなみに「とある」ばかりで恐縮です。押忍。

もしも同様の業務をエディトリアル系、すなわち「月刊マイ・ベスト自家用CAR」とかなんとかいう雑誌から請け負ったならば、わたくしの手間賃はおそらくだが2万円ぐらいであっただろう。

しかし、わたくしの口座に後日振り込まれたギャランティーは「20万円」であった。

また以前、これまたとある新型車のプロモーション関連で、とある著名自動車評論家氏の「案山子(かかし)役」を務めたことがある。

メーカーの公式動画にて著名評論家氏がその新型車についてあれこれ語るのだが、失礼ながらビジュアル的には単なるおっさんでしかない評論家氏がカメラ目線で語っても閲覧者受けはイマイチであろうし、かといって「誰もいない虚空と会話する」というのもなかなか難しい。そこでわたくしに「評論家○○さんの目線を固定するための案山子(便宜上の話し相手)になってくれ」との白羽の矢が立った。

屈辱的な仕事ではあったが、どうせヒマなので快諾して某所へ赴き、カメラの前でいくつかの質問を著名評論家氏に投げかけた。そして評論家氏の返答に対してウンウン、なるほど、は~そうでしたか! と絶妙な合いの手を入れた。当然だがわたしの質問や合いの手、わたしの後ろ姿などは動画にはいっさい入っていない。

で、しばらくすると入金があった。「10万円」であった。

これも、前出「月刊マイ・ベスト自家用CAR」からの依頼であったならばおそらく「1万円(消費税別。交通費実費は別途ご請求ください)」ぐらいであったはずだ。

つまり広告畑の単価とは、今現在わたくしが活動しているエディトリアル畑の「おおよそ10倍」ということがざっくり言えるのだ。

……そこへの華麗な転身をキメることができれば、わたくしは現在の仕事量を増やすことなく、おおむね10倍の収入を得ることが可能になる。

まぁ自動車の広告というのは、多少テキトーというかアバウトな部分もなくはないエディトリアル系と違い、厳密な修正作業とかを何回もやらされるので、「同じ仕事量で収入10倍!」という単純計算にはならない。しかし「大幅な単価UP→大幅な収入UP→大幅にシアワセUP!」という基本的な展開は確実に予想されるのだ。

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競争率から考えて「まずは中古車評論から」と思ったが…




ということで、自分は各自動車メーカーならびに輸入車インポーター各社の宣伝広告の「顔」となる男に成り上がるべく、諸活動を始めた。なにせ座って「は~なるほど!」とかお追従を言ってるだけで10万円くれるのだから、公式動画に「出るほうの立場」になれば、よく知らないが10億円とかくれるのではないだろうか? わからないが、これはもう「著名自動車評論家」を目指すしかないのである。

しかしここで多い誤ちが、「いきなり新車の評論家を目指す」ということだ。

もちろん中古車や自動車関連部品の業界などより新車業界のほうが、広告宣伝に動くカネは桁違いにデカいため、最終的にそこを目指すのは戦略的に当然の話だ。しかしながら新車評論の世界は完全なレッドオーシャン。保守本流の世界なだけに、「巨額宣伝広告費からのトリクルダウン的恩恵を享受したい!」と思う者どもや、あるいは「純粋にわたくしは前前前世から自動車が大大大好きである! それについて存分に語りたい!」と考えるマジメな者らが、それこそ星の数ほどひしめき合っている。もはや朝方のJR埼京線のように立錐の余地もない。よほど特殊で強力な能力ならびに才能を有している者でない限り、今さらそこへ分け入って勝利せんと試みるのは愚策であろう。

そこで自分は「中古車界からの迂回戦術」を取ることにした。

中古車評論の世界がブルーオーシャンかどうかは知らぬが、少なくとも新車評論ほどのレッドオーシャンではない。そこで一級の結果をぶっちぎりで出し、それを背景に、新車評論のトップへといきなり躍り出る。それこそが「大勝利への近道」と思えたのだ。

そう考えた自分は数年前、本名を捨て「伊達軍曹」なる筆名を名乗り、とりあえず粉骨砕身、中古車評論の道を爆進した。「一級の結果」を「ぶっちぎりで」出せたかどうかはさておき、とりあえず長屋の賃料を払ったうえで米、味噌、醤油を不足なく買い、そしてお刺身と清酒(二級)を買える程度の暮らしを確立させることには成功した。

しかしそこまでだった。

当初の目論見は崩れ去った。が、それでいいのだ




「中古車についていろいろウダウダ言ってる人」との評価は一部で定着したようだが、そこから期待された「新車評論のトップへといきなり躍り出る」という筋道は一向に現れず、ただただ「中古車の仕事」が増えていった。

そして、残念なことに……と言うべきかどうかは自分でもわからないが、自分は中古車のほうが新車よりも心底好きになってしまった。日を追うごとに。

や、もともと新車より中古車のほうが好きゆえに始めた迂回戦術なので、自分はこの数年間、中古車に関してだけは一片の嘘たりともついた覚えはない。が、当初は心の内にあった「これを踏み台に将来は……」というような心持ちが、中古車について考え続け、中古車について書き続けているうちに、きれいサッパリ消えてしまったのである。後ろ向きで卑屈な「俺は中古車でいいや……」ではなく「俺は中古車がいいや!」と、今では心の底から思っている。

中古車の何がそんなにいいのか? という部分に関しては、例によって長くなってしまったので、またの機会に譲りたいと思う。しかしここで一つだけ述べておきたいのは「中古車なら、等身大の自分でいられる」ということだ。

新車は、クルマそれ自体も評論の世界も、何かとこうヒエラルキーのようなものと無縁ではいられない。しかし中古車、それも微妙にクラシカルで微妙にマニアックなものであれば特に、そういったヒエラルキーとはほぼ無縁のアナーキーで番外地的な存在として、自由闊達でいられるのだ。乗るにせよ、書くにせよ。

中古車を買っても、中古車について書いても、さほど儲からない。ていうか却って損をしたりもする。しかし少なくとも中古車とともに暮らすことによって、長屋の賃料を払い、米、味噌、醤油を不足なく買う程度のことは可能になる。そしてこれがいちばん大切なことなのだが、とにかくさまざまな意味で「自由」「身軽」でいられる。

「……それでいいのだ」と、数年前とほぼ同じふりだしに戻りながら、自分は独りごちたのだった。東急ストアの店内用買い物カゴに、味噌と醤油を放り込みながら。

[ライター/伊達軍曹]

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