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カーゼニ

更新2017.05.22

自分が「老人の運転」となった時、運転免許証を返納できるのだろうか?

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伊達軍曹

今、とあるシニア世代向け雑誌からの依頼を受けて人生初の「官能小説」を執筆している。見開き(2ページ分)程度の短編ではあるが。シニア世代向けというからには想定読者も当然シニア層で、「具体的には65歳から75歳ぐらいの男女が読むと思ってください」というのが編集部からの説明であった。

老人の性も問題だろうが、自分にとって切実なのは「老人の運転」




自分はまだその世代には達していないので何ともイメージしづらいのだが、70歳ぐらいのおじいちゃんやおばあちゃんって、果たして官能小説など読むものなのだろうか? と思い、その率直なところを担当者に尋ねてみると、「むしろウチの雑誌で一番人気のコーナーです」とのこと。うむう……なるほど。老いてもなお盛んというか、人間の性とは底知れぬものなのだなぁというか、なん中華。

シニア雑誌編集部とそんなやりとりをした翌日夜、たまたま見ていたNHKの番組でも「老人の性」について特集されていた。

それによれば(あくまでそれによれば)、70歳代なれどまだまだお盛んで「せめて週に一度はヤリたい!」と思う旦那さんもいるのだが、ほぼ同世代となる奥様のほうは「もう勘弁してよ……」と思っている場合が多く(まぁそりゃそうでしょう)、またいわゆる性交痛などもあるため、いろいろ困っている……ということであった。

自分は老人の性ついて語るべき知識も見識もないため、「うむう、いろいろ大変そうですなぁ……」とつぶやくことぐらいしかできないが、ここで問題としたいのは「老人の運転」についてである。

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自分が「高齢運転者」となるのは割とすぐ先の話




テレビジョンやニューズペーパー、あるいはニュースサイトなどを通じて先刻ご承知のとおり今、高齢ドライバーが関与する交通事故が増加している。

「警視庁交通総務課統計」によれば、東京都内における交通事故発生件数は平成18年が7万4287件だったが、その後は年々減り続け、平成27年は3万4274件にまで減少している。つまり10年前と比べれば警視庁管内の交通事故発生件数は半数以下になっているわけだ。

しかし交通事故のうち高齢運転者(原付以上を運転している65歳以上の者)が関与する交通事故の割合は年々高くなり、平成27年は総件数の21.5%と、10年前の約1.9倍にまで達している。ちなみに平成18年は11.6%だった。

自分は今のところ幸いにして認知機能の著しい衰えはなく、また運動機能についても中年としての人並み程度はキープしていると思われるため、クルマを運転していても特に「ヤバいな……」とか「今の、ヒヤッとしたな……」と思うことはない。いや、よく考えればないこともないのだろうが、その数は少ない。

が、人間というのは(当たり前だが)死なない限り必ず年をとる。そして中年となって以降は10年ぐらいの歳月が若い頃の3年か4年相当のスピード感ですっ飛んで行くため、今四十九の自分が65歳以上の「高齢運転者」にカテゴライズされるのは、感覚的には「割とすぐ」なのだろう。

まぁ65歳ぐらいであれば(たぶん)フツーに運転できるのだろうが、75歳ぐらいになると、さすがに少々厳しい部分が出てくるだろうことは想像に難くない。

直進してくる対向車の速度を読み誤って、交差点でいわゆる右直事故を起こす。それはマズいということで直進対向車に対して細心の注意を払おうとすると、今度は右折した先の横断歩道を渡っている歩行者への注意がおろそかになり、歩行者を跳ね飛ばす。こりゃさすがに本気でマズい……と思えればまだいいが、そう思うこともできないほど認知症が進行し、最終的には登校中の小学生の列にNAロードスターで突っ込む。

……それが、決してあり得なくはない「75歳のわたし」だ。

もしもそうなるのなら、その前までには確実に運転免許証を返納せねばなるまい。

ハゲはじめたとき、わたしは即座に断髪できるだろうか?




で、今のところ自分は「ま、大丈夫でしょう」と考えている。つまり、運転や日々の行動などに若干の「ん?」という部分を感じ、そしてそれが「ん?」ではなく「んんんんん……コレはかなりマズい……かも」という思いに変わったタイミングで、自分は「断腸の思いではあるが、いさぎよく免許を返納しよう」と決断できる男だと、自分のことを評価している。

しかしそれは過信にすぎないのかもしれない。

なぜならば今、自分は「断髪タイミング」についての自信が揺らいでいるからだ。

自身の頭髪量が寂しくなってきたならば、何らかの方法で無理にごまかすのではなく、いさぎよく「坊主」にしようと常々考えてきた。だが自分は今のところ、四十九でありながら毛髪量はそれなりに豊富なため、至急断髪する必要には迫られていない。

が、とはいえ四十九のおっさんであることは間違いないので、「ハタチの頃とまったく同じ」というわけでは断じてない。具体的には両サイドのいわゆる「M」のところが、ハタチの頃と比べれば少々怪しくはなっている。特に右サイドに進行を感じる。

しかしながら今のところは、前述のとおり至急断髪する必要はないぐらいだと思っており、実際、そのとおりであるはずだ。

だが人間は、先ほども申し上げたが死なない限り必ず年をとる。そして年をとるにつれ、毛髪量は必ず減少する。自然の摂理である。ということは、今から1年か2年後か10年後か、あるいは半月後なのかはわからないが、わたしにもいつか“その時”は来る。「あ、こりゃ短髪にしないとみっともねえな……」と気づくタイミングである。

で、それが来たならば散髪屋さんに行って「すみませんがスティングさんか竹中直人さんみたいな感じの短髪にしてください」と言えばいいだけなのだが……そのオーダーを確実に執行できる自信が実はないことに、最近気づいた。

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断髪でも返納でも“決断”はなかなか難しい




他人から見れば明らかに「キテるね……」という状態なのに、自分だけは「いや、まだまだイケる」「もうちょっとイケる」「キテるけど、終わったわけではない」「……あと1カ月だけ様子を見てみよう」などと、“決断の時”を永遠に先送りし続けてしまいそうな気もしているのだ。男の悲しい性である。

「大丈夫」と思っているのは自分だけで、回りの者からは内心「なんか……落ち武者みたいな髪型ですね」としか思われていない自分。

それと同様のことが「運転」においても起きないと、誰に断言できようか。

「あとちょっとは大丈夫なはず」とどうしても思ってしまい、客観的に見ればかなりキテる運転なのに、免許を返納するという“決断の時”を永遠に先送りし続けてしまう。そしていつの日か、登校中のキッズの列に突っ込んだり、スーパーマーケットや総合病院のガラス壁面へと豪快に突っ込んだり、する。

そうなってしまいそうな可能性が、決して高くはないのかもしれないが、決してゼロではないことを毛髪の一件から学んだ自分は、「……果たしてどうすればいいのだろう?」と悩んだ。どこかに的確かつ確実な“答え”“方法”はないものだろうか?

誰に相談すべきかわからなかった自分はとりあえず、ノーベル文学賞受賞者にして偉大なシンガー兼ソングライターであるボブ・ディラン氏に手紙を出した。「ハイ、ボブ。元気? ところでカクカクシカジカの件、僕たちはいったいどうすればいいと思う?」と。

半月後、ボブ・ディラン氏からの返事がポストに届いた。開封してみた。

「友よ。答えは風に吹かれている」

その1行だけが、ホテルの名が印刷された白い便箋に書かれていた。

[ライター/伊達軍曹]

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